【加筆再録】

ギリシャ危機はいったん回避されて、ヨーロッパには少し平穏が戻りつつある。ギリシャの国家財政は病んだままだから、いつ再び問題が起きても不思議ではないが、財政危機に陥ったEU自体が、問題児のギリシャを切り捨てかねない、という経済効率のみの視点からの論は間違っていたことが証明されたのである。それは少しも偶然ではない。

「ヨーロッパとは何か」と問うとき、それはギリシャ文明と古代ローマ帝国とキリスト教を根源に展開する壮大な歴史文明、という答え方ができるのは周知のことである。ということはつまり、現世を支配している欧米文明の大本(おおもと)のすべてが、地中海世界にあるということになる。なぜなら、南北アメリカやオーストラリアやニュージーランドでさえ、天から降ったものでもなければ地から湧き出たものでもない。そこを支配している文明はヨーロッパがその源である。


また近代日本は欧米を模倣することで現在の繁栄を獲得し、現代中国も欧米文明の恩恵を受けて大きく発展し続けている。世界中の他の地域の隆盛も同じであることは言うまでもない。

ヨーロッパの核を形成した3大要素の中でもギリシャは、地中海の十字路として沿岸各地の異文化や文明を吸収し融合させ発展させたことで特に重要なものだった。多大な変転や衝突や紆余曲折を繰り返しながらも、古代ギリシャに始まる壮大な文明を共有し連綿と受け継いできたヨーロッパ、つまりEUが、経済動向だけを拠り所にギリシャを切り捨てるとは、経済以外の自らの大きな根源を切り捨てる行為でもあるから、EUはそう易々とはできないのである。

EUとは言うまでもなく経済を核に形成された運命共同体ではあるが、加盟国間の絆がそれだけに留まらない事実もまた言うに及ばないない。EUがギリシャを切り捨てる確率は今後も、同じEUが彼らにとっては宗教的に「異邦人」のトルコを、連合に組み入れる確率よりも低いのではないか。

西洋文明の揺籃となった地中海は場所によって呼び名の違う幾つかの海域から成り立っている。イタリア半島から見ると、西にアルボラン海があり、東にはアドリア海がある。北にはリグリア海があって、それは南のティレニア海へと続き、イタリア半島とギリシャの間のイオニア海、そしてエーゲ海へと連なっていく。またそれらの海に、トルコのマルマラ海を組み入れて、地中海を考えることがあるのは周知のことであろう。

昨夏、僕はギリシャ本土を訪ねた後に、エーゲ海に浮かぶミロス島とサントリーニ島を旅した。エーゲ海はイオニア海とともに南地中海を構成するギリシャの碧海(へきかい)である。

地中海の日光は、北のリグリア海やアドリア海でも既に白くきらめき、目に痛いくらいにまぶしい。白い陽光は海原を南下するほどにいよいよ輝きを増し、乾ききって美しくなり、ギリシャの島々がちりばめられたイオニア海やエーゲ海で頂点に達する。

乾いた島々の上には、雲ひとつ浮かばない高い真っ青な空がある。夏の間はほとんど雨は降らず、来る日も来る日も抜けるような青空が広がっているのである。

そこにはしばしば強い風が吹きつのる。海辺では強風に乗ったカモメが蒼空を裂くように滑翔(かっしょう)して、ひかり輝く鋭い白線を描いては、また描きつづける。

何もかもが神々(こうごう)しいくらいに白いまばゆい光の中に立ちつくして、僕はなぜこれらの島々を含む地中海世界に現代社会の根幹を成す偉大な文明が起こったのかを、自分なりに考えてみたりした。

ギリシャ文明は、大ざっぱに言えば、メソポタミア文明やエジプト文明あるいはフェニキア文明などと競合し、あるいは巻き込み、あるいはそれらの優れた分野を吸収して発展を遂げ、やがて古代ローマ帝国に受け継がれてキリスト教と融合しながらヨーロッパを形成して行った。

その最大の原動力が地中海という海ではなかったか。中でもエーゲ海がもっとも重要だったのではないか。

現在のギリシャ本土と小アジアで栄えた文明がエーゲ海の島々に進出した際、航海術に伴なう様々な知識技術が発達した。それは同じく航海術に長(た)けたフェニキア人の文明も取り込んで、ギリシャがイタリア南部やシチリア島を植民地化する段階でさらに進歩を遂げ、成熟躍進した。

エーゲ海には、思わず「無数の」という言葉を使いたくなるほどの多くの島々が浮かんでいる。それらの距離は、お互いに遠からず近からずというふうで、古代人が往来をするのに最適な環境だった。いや、彼らが航海術を磨くのにもっとも優れた舞台設定だった。

しかもその舞台全体の広さも、それぞれの島や集団や国の人々が、お互いの失敗や成功を共有し合えるちょうど良い大きさだった。失敗は工夫を呼び、成功はさらなる成功を呼んで、文明は航海術を中心に発展を続け、やがてそれは彼らがエーゲ海よりもはるかに大きな地中海全体に進出する力にもなっていった。

例えば広大な太平洋の島々では、島人たちの航海の成功や失敗が共有されにくい。舞台が広過ぎて島々がそれぞれに遠く孤立しているからだ。だから大きな進歩は望めない。また逆に、例えば狭い瀬戸内海の島々では、それが共有されても、今度は舞台が小さ過ぎるために、異文化や文明を取り込んでの飛躍的な発展につながる可能性が低くなる。

その点エーゲ海や地中海の広がりは、神から与えられたような理想的な発展の条件を備えていた・・

イタリアからギリシャ本土へ、そしてギリシャ本土から島々へ、あるいは島から島へと移動する飛行機の中から見下ろすエーゲ海には、その美しさと共に悠久の歴史を思わずにはいられない魅惑的な光が満ちあふれている。

光の中の島々は、ギリシャ危機、イタリア危機、さらにはEU危機の混乱の中で脱税の巣窟のような見方をされ、僕自身も島々を訪ねる際にそうした考えにとらわれて感慨に耽ったりもした。

が、

島々には経済の憂うつに伴なう暗い影はなく、ただひたすらにまぶしい光が爛漫と踊り狂っているばかりなのである。