イタリア共和国には首都は存在しない。あるいは、イタリア共和国には首都が無数にある。ローマがイタリアの首都だと思いこんでいるのは、当のローマ市民と日本人に代表される外国人くらいのものである。
イタリアが統一国家となったのは、今から150年前のことに過ぎない。それまでは海にへだてられたサルデニア島とシチリア島は言うまでもなく、半島の各地域が細かく分断されて、それぞれが独立国家として勝手に存在を主張していた。それは統一から150年が経った今も、実はまったく変わっていない。
国土面積が日本よりも少し小さいこの国の中には、周知のようにバチカン市国とサンマリノ共和国という二つのれっきとした独立国家があるが、それ以外の街や地域もほとんど似たようなものなのである。ミラノはミラノ、ベニスはベニス、フィレンツェはフィレンツェ、ナポリはナポリ、シチリアはシチリア・・・と、イタリアは今もってたくさんの小さな独立国家を内包して一つの国を作っている。
もちろん正式にはローマが統一国家イタリアの首都だから、国家レベルの政策決定や立法や対外政策というのはローマで成されるし、国会や大統領府もローマに置かれている。このことを指摘するとローマ人は「その通り!」と胸を張る。ところがローマ以外の土地の人々は「アッローラ?(だから何なの)」と、バカにしきった顔で肩をすくめて見せたりする。
古代ローマ帝国が滅亡して以来、ローマ市は法皇が支配する小さな一教会国の首都に過ぎなかった。その間他の地域は、共和国や公国や王国や自由都市として独立し、ローマを圧倒するほどの力と文化を持ち続けるものがいた。その中でも良く知られている例が、ルネッサンスを生み出したフィレンツェであり、東方貿易と海運業で栄えたベニスであリ、あるいは同じ海洋国家のジェノヴァである。
そういう歴史があるために、150年前に国家が統一され、それからさらに10年後の1871年にローマが統一国家の首都となっても、人々は少しも納得しない。ローマはイタリアの首都かも知れないが国の中心ではない。国の中心はあくまでもわが街だと言い張って、ローマに同調するどころかお互いに反目し合ってばかりいる。
実際にイタリアを旅して回ると、人々の言い分が強い根拠に基づいたものであることを思い知らされる。ベニスやフィレンツェやナポリやミラノやシチリア、そして当のローマは言うまでもなく、古い歴史を持つイタリアの都市や地域はすべて独自の文化や町並や気候風土や生活様式を持っている。食も違い建物も違い、人々の気風も違えば言葉も違う。
それぞれが一家を成す個性派ぞろいの都市や地域が一堂に集まって、イタリアという統一国家の名のもとに政治、経済、立法、対外政策その他の一切を基準化しようというのだから、ローマに居を構えた中央政府は大変である。まとまる物もまとまらない。普通の国の政府なら、一つの勢力が右と言えばすぐに左と叫ぶグループがいて、2者が話し合って妥協案を見つけるけれど、この国には右と言う声に呼応して左はおろか前後縦横上中下、東西南北天地海山松竹梅、欲しがりません勝つまでは!と議論が百出していつも大騒ぎになる。
その結果、内閣が回転式のドアみたいにくるくると変わったり、マフィアに国を乗っ取られそうになっても、それに対抗する強力な国家権力機構が中々できなかったりもする。イタリア共和国が国家権力の名のもとにマフィアを封じこむことができたのは、イタリア政府が唯一安定した時期、つまりムッソリーニのファシズム政権の間だけなのである。
そういうマイナス面はあるが、しかし、それだからこそ今あるイタリアの良い面もまた存在する。つまり誰もが自説を曲げずにわが道を行こうと頑張る結果、カラフルで多様な行動様式と、あっとおどろくような独創的なアイデアが国中にあふれることになるのだ。
そして最も肝心な点は、イタリア人の大多数が国家としてのまとまりや強力な権力機構を持つことよりも、各地方が多様な行動様式と独創的なアイデアを持つことの方が、この国にとってははるかに重要だと考えている事実である。
言葉を変えれば、彼らは「それぞれの意見は一致しないし、また一致してはならない」という部分でみごとに意見が一致する。この国ではあくまでも「違うこと」が美しいのだ。
外から眺めると混乱の極みに見えるイタリアという国には、そういう訳で実は混乱はない。そこにはただ“イタリア的な秩序”があるだけなのである。つまり国がまとまらないことを承知で、なおかつわが街わが邦の独自性を死守しようとするイタリア的な秩序が。
困ったことにその秩序は、イタリア人一人ひとりの対人関係においてもしっかりと生きている。だからイタリアは国も国民もいつも騒がしい。外から見るとそれがまた混乱に見える・・・。
もちろん正式にはローマが統一国家イタリアの首都だから、国家レベルの政策決定や立法や対外政策というのはローマで成されるし、国会や大統領府もローマに置かれている。このことを指摘するとローマ人は「その通り!」と胸を張る。ところがローマ以外の土地の人々は「アッローラ?(だから何なの)」と、バカにしきった顔で肩をすくめて見せたりする。
古代ローマ帝国が滅亡して以来、ローマ市は法皇が支配する小さな一教会国の首都に過ぎなかった。その間他の地域は、共和国や公国や王国や自由都市として独立し、ローマを圧倒するほどの力と文化を持ち続けるものがいた。その中でも良く知られている例が、ルネッサンスを生み出したフィレンツェであり、東方貿易と海運業で栄えたベニスであリ、あるいは同じ海洋国家のジェノヴァである。
そういう歴史があるために、150年前に国家が統一され、それからさらに10年後の1871年にローマが統一国家の首都となっても、人々は少しも納得しない。ローマはイタリアの首都かも知れないが国の中心ではない。国の中心はあくまでもわが街だと言い張って、ローマに同調するどころかお互いに反目し合ってばかりいる。
実際にイタリアを旅して回ると、人々の言い分が強い根拠に基づいたものであることを思い知らされる。ベニスやフィレンツェやナポリやミラノやシチリア、そして当のローマは言うまでもなく、古い歴史を持つイタリアの都市や地域はすべて独自の文化や町並や気候風土や生活様式を持っている。食も違い建物も違い、人々の気風も違えば言葉も違う。
それぞれが一家を成す個性派ぞろいの都市や地域が一堂に集まって、イタリアという統一国家の名のもとに政治、経済、立法、対外政策その他の一切を基準化しようというのだから、ローマに居を構えた中央政府は大変である。まとまる物もまとまらない。普通の国の政府なら、一つの勢力が右と言えばすぐに左と叫ぶグループがいて、2者が話し合って妥協案を見つけるけれど、この国には右と言う声に呼応して左はおろか前後縦横上中下、東西南北天地海山松竹梅、欲しがりません勝つまでは!と議論が百出していつも大騒ぎになる。
その結果、内閣が回転式のドアみたいにくるくると変わったり、マフィアに国を乗っ取られそうになっても、それに対抗する強力な国家権力機構が中々できなかったりもする。イタリア共和国が国家権力の名のもとにマフィアを封じこむことができたのは、イタリア政府が唯一安定した時期、つまりムッソリーニのファシズム政権の間だけなのである。
そういうマイナス面はあるが、しかし、それだからこそ今あるイタリアの良い面もまた存在する。つまり誰もが自説を曲げずにわが道を行こうと頑張る結果、カラフルで多様な行動様式と、あっとおどろくような独創的なアイデアが国中にあふれることになるのだ。
そして最も肝心な点は、イタリア人の大多数が国家としてのまとまりや強力な権力機構を持つことよりも、各地方が多様な行動様式と独創的なアイデアを持つことの方が、この国にとってははるかに重要だと考えている事実である。
言葉を変えれば、彼らは「それぞれの意見は一致しないし、また一致してはならない」という部分でみごとに意見が一致する。この国ではあくまでも「違うこと」が美しいのだ。
外から眺めると混乱の極みに見えるイタリアという国には、そういう訳で実は混乱はない。そこにはただ“イタリア的な秩序”があるだけなのである。つまり国がまとまらないことを承知で、なおかつわが街わが邦の独自性を死守しようとするイタリア的な秩序が。
困ったことにその秩序は、イタリア人一人ひとりの対人関係においてもしっかりと生きている。だからイタリアは国も国民もいつも騒がしい。外から見るとそれがまた混乱に見える・・・。