日曜日のコンサートにはウーゴ神父が出席した。

 

おかげで聴衆の数が予想以上に多くなり、立見席も出た。

 

しばらくぶりに会うウーゴさんは、やはり少し年を取っていた。

 

体調が悪いのも影を落としているのだろうが、88歳という年齢は争えない。

 

それでもウーゴさんはコンサートの終わりにマイクを持って人々に話しかけた。

 

息を切らしながらも、ぜひ貧しい子供たちと不運な人々の存在を忘れないで下さい、と熱く訴えかけた。

 

そこには、わが身を顧みずに行動してきた男の、いつもの静かなカリスマが漂っていた。

 

僕のような俗人の心も動かす慈善イベントは、そうやって今回も人々の誠意に包まれて終了した。

 

が、

 

来たる金曜日には、僕の気を重くするもう一つのイベントが、ガルダ湖畔の伯爵本家で開かれる。

 

イタリア全国の社交クラブの会長とその夫人が一堂に会する行事。言いたくないが、きっと慈善よりも偽善が先行する催し物。

 

亡くなった伯爵家の家族のつながりで、邸宅の開放を頼まれて断りきれずに受けたもの。

伯爵家には慈善事業とは関係のないそんなイベントもしばしば舞いこむ。

 

僕は俗人だが、だからといってスノブな祭りを喜ぶほどの魁偉な俗物性は持ち合わせていない。

 

だから、ひたすら気が重い。


でも、家族への義務があるから逃げない。

 
伯爵家にからむあらゆる出来事に対するときの、それが僕の行動指針。

といっても、別にえらい考えや決意があるわけではなく、どうせ逃げられないから逃げないだけ、ということなのだけれど・・