伯爵本家でのイベントが終わった。

 

巨大な虚無感だけが残った。

 

悪い人ばかりではないが、家系や富を拠り所に自らの存在の優越を信じているらしい者を見ると、疲れがどっと僕を襲う。

 

そして問題は、イベントそのものが優越意識に基づいた催し物であるために、少数の「悪い人ではない人々」まで呑みこんで、見るに耐えないスノビズムの巣窟になってしまうことだ。

 

そういうイベントのために館を開けるのは今後一切やめようと家族に話した。

 

虚栄心だけで生きている妻の老いた叔母の存在、という障害はあるが、方向性だけははっきりとしておきたいと考えたのである。

 

慈善事業や地域の為になる行事には、これまで通り積極的に参加し、協力する。

 

しかし、虚飾に満ちた時代錯誤な祭りや、集会や、パーティーには参加もしないし協力もしない。

 

妻も子供たちも僕のその基本的な考えに賛成してくれた。義母も承知している。

 

見栄っ張りの84歳の叔母が亡くなると同時に伯爵家はそういう道を行くだろう。

 

時代は完全に変わったのである。

 

僕は共産主義者でもなければ革命思想の持ち主でもない。普通の感覚を持った一市民である。

 

その一市民の感覚では、人は家系や富や血筋で価値が決まるのではなく、一人ひとりの個人の独立した「在り方」つまり「人となり」によって価値が決まる。

 

特権が自らの存在証明だと勘違いしているような人間には、その普通の市民感覚が分からない場合が多いから、品性が下劣になる。

 

伯爵家を会場にして行なわれたイベントには、悪くない人々、つまり人となりのまともな人々ももちろんいた。

 

そんな人々とは、縁があれば今後も付き合いを願いたい、と考えているのは言うまでもないことである。

しかし、

できればそういう皆さんとは、空虚なイベントの場ではなく、普通の日常の中で普通の出会いをしたい、というのもまた僕の正直な気持ちなのである。