プーリア州・ガルガーノのビーチの寝椅子に寝転がって、アドリア海のまぶしい光にまみれて日がな一日新聞や雑誌を読みまくっていた。
一週間。
ビーチでの日がな一日とは、正確に言うと朝9時から12時と午後16時から19時。
でも昼食後もコテージの中でやっぱり新聞・雑誌を読んでいた。
持って行った本は一冊も読まなかった。読めなかった。新聞・雑誌で手一杯。時間がなかったのだ。
読んでいたのはサッカー欧州選手権に関するものばかり。普通紙もスポーツ紙も同じ。もちろん雑誌等も。
夜は試合をテレビ観戦。レストランで。人々と共に。叫び、嘆き、笑い、興奮した。
面白いのひと言に尽きた。試合も、試合を見る形も。
なぜ欧州選手権にそれほどこだわるのかと言うと:
ひとつ、僕はサッカーが好きなので、2年ごとに同じような夏を送る。つまりワールドカップと欧州カップが開かれる年。
両選手権とも4年ごとに開催され、欧州杯はW杯の中間年に、言い換えればW杯は欧州杯の中間年に当たる。
2年ごとのサッカーの祭典。2年ごとに繰り返される、サッカーざんまいの僕の夏の一ヶ月間。
もうひとつ、今年は欧州各国チームの戦い振りが劇的に違っている。そこへの興味。
さらにもうひとつ、欧州各国チームの選手構成の劇的変化。それは各国の社会情勢を如実に表している。そこへの尽きない興味。
今夜はついに決勝戦が行なわれる。スペインVSイタリア。
スペインは順当勝ちとして、イタリアの決勝進出はおどろき。でもちっとも奇跡などではない。
準決勝のドイツVSイタリアは、両チームの戦い振り・戦略と、同時に選手構成・両国社会情勢という観点からももっとも面白いサブジェクト、題材。
決勝戦が終わったらきっと書いておこうと思う。
とりあえず今夜は決勝戦を楽しむ。今からわくわくして何も手につかない。こうして書いているのがやっと。
野外バールの大スクリーンで人々と共に観戦しようと考えていたら、友人のアンジェロから連絡。夕食への招待。
食べながら、あるいはビール・ワインを飲みながら、友人家族皆で集まって決勝戦を見よう、とのこと。一も二もなくOKする。
それまでは、今日の新聞5紙とスポーツ新聞2紙をじっくり読んで気持ちを落ち着けよう・・
僕の予想は2-1でイタリアの勝ち。もしかすると、イタリアストライカーのバロテッリとゲームメーカーのピルロが噛み合って、大量得点になるかも・・というのはもちろん希望的観測・ポジショントーク。結果の客観的予想なんて誰にもできないし意味もない。
どのチームが勝とうが負けようが、両チームは激しく競い合い、影響し合い、模倣し合い、技術を磨き合ってきた。そこにはドイツ、フランス、イギリス、オランダ等々が密接にからむ。
それは、変化と進展と親和を求めようとする、欧州社会の輝かしい部分の縮図、と僕には見える。
光があるのだから、もちろんそこには影もある。
欧州サッカーの面白さは欧州社会の面白さそのもの。欧州選手権はその集大成。わくわくわくわく・・・わく。