毎年8月は妻の実家の伯爵家本家があるガルダ湖畔で過ごすことが多い。伯爵家は近くに山も所有していて、最も暑い時期には標高1000Mにある山荘で避暑などという贅沢もできる。
ガルダ湖はイタリア最大の湖である。その周囲には、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。
それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。
湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等、おとぎの国のような美しい村々。
イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。
この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。
この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。
しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。
イタリアのリゾート地の全てはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。
僕はそうした人々の努力の一環を、20年以上前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。
僕はそのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。
遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。
そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。
船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。
要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。
南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。
町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。
伯爵家のある村もそんな観光地の一つである。そこでの滞在を僕はいつも楽しみにしてきた。
しかし今年はガルダ湖と住まいとブレシャ市を行ったり来たりして過ごしている。
少しも休まる暇がない。
湖での「いつもの」慈善事業や行事の手伝い、またこれまでに夕食会などに招かれた人々をこちらが招き返す会食などをこなしながら、イタリア政府の新増税策に伴なうあれこれで奔走しているのである。
伯爵家が潰れるのはまだ先のことだろうが、終わりの始まりがじわじわと近づいているように僕には見える。
だからといって、あわてたり、嘆いたり、悲しんだり、暗くなったりしているわけでは毛頭ないけれど。