シリアの話、マフィアの動き、終わったばかりのオリンピックこぼれ話、英王室がらみ、一年前から書く計画の「今のところ」のあれこれ・・
と、書くべき或いは書きたいテーマは多くあるのに、天気のことが気になってしょうがない。
というか、天気のことを書いておきたい。記録或いは記憶用に。
昨日(9月5日水曜日)も雨。
乾ききった長いcaldoafricano(アフリカ暑熱)への反動で、一度雨が降ると止まらなくなって降り続くのではないか、という人々の予想は今のところはハズレに見える。
でも、まだ分らないけれど。
今夏、もっとも僕の印象に残っているのは、異常と形容してもいいような暑さや乾燥ではなく、激しい雷雨を伴なって暴力的に吹く風(僕が豆台風と勝手に名付けている)、テンポラーレがほとんど無かった事実。
イタリアの夏はテンポラーレと共にあり、テンポラーレと共に終わる、と言っても良いほどそれはひんぱんに吹き募る。
盛夏にはテンポラーレが吹いて一時暑気を飛ばし雨が降る。暑気はすぐに戻って大気中に熱がこもり霞が沸き広がる。
霞やもやは鬱積して、間もなくテンポラーレがやってきて一掃する。
ということが繰り返される。
8月も半ばを過ぎると、テンポラーレの一撃ごとに涼風が募って、秋が駆け足でやって来る。
その秋はせわしなく、やって来た時と同じ早足で去って、するともう冬・・
というのが一年後半のイタリアの季節の動き。少なくとも僕の印象にある季節変化。
今年はそこでの主役のテンポラーレが無かったのだ。ちょっと不思議。
でも雨と共にやって来た涼気は、テンポラーレが運び来るそれと変わらない。早朝には冷気と言ってもいいほど気温は下がる。
ほんの一週間ほど前までの暑さが嘘のよう。やっぱりイタリアの季節変化は荒々しい。面白い。
昨日夕刻、冷たい雨に打たれてカテリーナがブドウ園にうずくまっていた。
ちょうど僕の書斎兼仕事場の窓に近い場所。
ブドウ園は広く、また敷地内には雨を凌げる場所がいくらでもあって、カテリーナは冬の間などはそこで寒さを避けながら生きているようだ。
なのに、昨日は冷たい雨に濡れて、わざわざ僕の目につきやすい場所にいた。
気になって仕方がない。
天気のことにこだわっているのは、そのことともほんの少し関係がある・・