北イタリアのガルダ湖は、イタリア最大の湖である。その周りには、南アルプスの連山と北部ロンバルディア州の豊かな森林地帯が迫って、青い湖面に影を落とす。それは幾層もの緑の帯となって湖水深く沈み、大湖をさらに重厚なエメラルド色に染め抜く。
湖畔には観光客が愛してやまない景勝地がたくさんある。DHローレンスやゲーテなどの大作家も讃えた、例えばシルミオーネ、ガルドーネ、サンヴィジリオ、マルチェージネ等々、おとぎの国のような美しい村々。そうした湖畔の集落は、芸術家たちが住んだり旅をしたりした当時とほとんど変わらない姿で今もそこにある。
イタリアは周知の通り世界でも屈指の観光大国である。国中に数え切れないほど存在する古都や歴史遺跡や自然や人や文化や食や産業が、世界中の観光客を引き付けてやまない。
この国の観光資源は大きく分けると二つある。一つはローマやベニスやフィレンツェなどに代表される数多くの歴史都市とそこに詰まっている文化芸術遺産。もう一つは豊かな自然に恵まれた海や山や湖などのリゾート資源である。
この二大観光資源のうち、歴史都市の多くには黙っていても観光客が訪れる。そこはいわば「受け身の観光地」という捉え方もできる。受け身でいても良い観光地の人々は、極端に言えば何もしない。何もしなくても、彼らが「もうこれ以上来てくれなくてもいい」と密かに陰口を叩くほどの訪問客が毎年ある。先に挙げた3都市などはまさにそういう場所だ。
しかし夏のバカンス客や冬場のスキー客、あるいはその他の旅人を相手にするリゾート地の場合は、自ら客を呼び込む努力をしない限り決して土地の発展はない。イタリアのリゾート地の多くはその厳しい現実を知りつくしていて、各地域がそれぞれに知恵をしぼって客を誘致するために懸命の努力をしている。そこは言わば「攻め気の観光地」、つまり住民の自発性が物を言う観光地である。
僕はそうした人々の努力の一環を、30年近く前に初めて訪れたガルダ湖で目の当たりにして、驚いたことがある。そのときの旅では遊覧船に乗って湖を巡ったのだが、最初の寄港地であるガルドーネという集落に船が近づいていったときの光景が、今も忘れられない。
遊覧船が近づくにつれてはっきりと見えてくる湖岸は、まるで花園のようだった。港や道路沿いや護岸など、町のあらゆる空間に花が咲き誇っているのが見えた。そればかりではなく、湖畔に建っている民家やカフェやホテルなどの全ての建物の窓にも、色とりどりの花が飾られている。まるで一つ一つの建物が花に埋もれているかのような印象さえあった。
船がさらに岸に近づいた。そこで良く見ると、花は窓やベランダに置かれているのではなく、鉢や花かごに植えられて、窓枠やベランダの柵に「外に向かって」吊り下げられている。要するにそれらの花々は、家人が鑑賞し楽しむためのものではなく、建物の外を行く人々、つまり観光客の目を楽しませるために飾られているのだった。
南アルプスのふもと近くに位置していることが幸いして、ガルダ湖地方には歴史的にドイツを始めとする北部ヨーロッパからの訪問客が多く、観光産業が発達してきた。そのため住人の意識も高く、誰もが地域の景観を良くするための努力を惜しまない。町を花で埋め尽くす取り組みなどはそのひとつで、観光地のお手本とされ、今ではイタリアのどこのリゾート地に行っても当たり前に見られる光景になった。
突然話が飛ぶようだが、世界の観光地の中には、受動的であるべきか能動的であるべきかの区別がつけられずに、四苦八苦している美しい土地が結構あるように思う。一例を挙げれば、僕が知る限り日本の南の島々の一部もそうである。それらの島々には例えば、古代ローマ時代からルネサンスを経て現代にいたる、イタリアの偉大な歴史遺産に匹敵する観光資源は残念ながらない。しかしガルダ湖などに代表される、イタリアのリゾート地に勝るとも劣らない観光資源なら大いにある。言うまでもなく美しい海がそうであり、冬でも暖かい気候がそうである。
そこを活かして、観光客を「楽しませ」「遊ばせる」ための自発的な行動や施策や方針や活動が必要なのに、何を勘違いするのか、地元の人々は良くムラの遺跡や文化にこだわって、観光客を呼ぶためにまずそれらのひどく「ローカルな文物」を整備しようと躍起になったりする。それらの伝統はもちろん重要である。しかし観光客はほとんどの場合、そうしたものを見るために島に足を運んだりはしない。島の自然を遊ぶために訪ねて行くのだ。その後で時間があり、しかも気が向けば歴史観光もするかもしれないという程度のものだ、と話してもなかなか分ってくれなかったりするのである。
同じようなことはイタリアでも起こる。例えば僕の住むここ北イタリアの村は、前述の日本の島のように自然豊かで、且つイタリア特産のシャンパン、スプマンテの産地としても知られる。村役場は観光客の誘致に力を入れていて、ひんぱんに祭やイベントを催したりして頑張っている。観光課の責任者たちと話をする機会が良くあるが、彼らは村の今の特徴を真っ先に考えるべきところで、一律に「文化」や「歴史」にこだわってしまい、大観光地のフィレンツェやローマを真似て歴史遺産を観光の目玉にしたいと考える者が多い。また実際に、村の貴重な税金を使って、古い建物や遺跡の整備をしたりもする。
でもそうした活動は、「村の住民の心を豊かにする」ために為されるべきことであって、「観光客の誘致」という観点からは余り意味がない。そこで整備・改善されて村人の心を癒やし続けた「村の文物」はやがて将来、長い時間の経過の後で、フィレンツェやローマの歴史芸術にも匹敵する観光資源となるかもしれない。が、旅人にとっては今のところは、例えば「未知の土地のわずらわしいオブジェや田舎の美意識の過剰な表出」のようなものでしかない、というケースも結構あるのだ。
イタリアには主要歴史都市以外にも、歴史文化遺産を多く抱える町や村や地域が吐いて捨てるほどある。だから僕が住む無名の村にあるような文化遺産では、訴求力が弱すぎて人は呼べないと思う。それよりも、例えば村域にある広大なブドウ園を結んで遊歩道を築いたり、各ワイナリーと提携して常時試飲会を開いたり、販売促進イベントを開催するなど、地域の特徴を活かすべきではないかと僕などが話すと、なるほど良いアイデアだと頷いたりするものの、中々そうした方向には動かない。ムラ人たちはいつも、歴史的観光都市や地方への密かな憧れと劣等意識を抱え込んでいて、その反動で「ムラの文化や歴史」にこだわり過ぎてしまうきらいがある。だから村の観光事業は、いつまで経っても滑走離陸しない場合が多いのである。