渋谷君ではない僕の親しい人が「ブログは全て自慢話に見える」と連絡をくれた。
正直、僕の最初の反応は「???・・」だった。
それはブロガーの中には自慢話が好きな人もいるだろうが、全てのブログが自慢話というのはおかしいだろう、と思った。
僕自身も自慢話を書いているつもりはない。自慢話をするなら、これは自慢話だが、と断ってから書き出すと思う。
しかし、そのつもりがなくても、読者から見ると結局自慢話めいたものになったり、自己満足や我田引水的な主張に過ぎない話などもきっとあるに違いない。
でもそれは、何をどう書いても見る人によってはそういう風に見えるものだから、考えても仕方がない。と、僕は割り切っている・・
僕の反応「???・・」の中身を分析すると、およそそんな感じになる。
それで終わりかと思ったら、意外にも自分の中で引っかかっていて、考え続ける羽目になった。
そして、考えたら、「ブログは自慢話」という見方はあながち的外れなものではない、と気づいた。
ブログを書くとは表現をすることである。表現をするとは、自分を分ってもらおうとする行為である。
文章、絵画、音楽、劇作、建築、アートetc etc・・あらゆる芸術表現は、人の「自分を知ってほしい」という切実な願いから出ている。
自分を知ってほしいのだから、それは自分の自慢話になるのが落ちである。
自分の嫌なところ、醜いところ、暗いところを敢えて他人に伝えたい者はいない。特に個人的な表現手段であるブログではその傾向は強いと考えられる。
敢えて自らの醜悪な部分や心の闇も描くとそれは文学になる。
そしてその文学も、僕の親しい人の見方に固執して考えると、やはり自慢話である。
なぜなら暗部も含めた己自身をさらけ出すことによって、作者はやはり自分を他人に分かってもらいたいのであり、しかも己のネガティブな側面も正直に描き出すことで読者の共感を得たい、と願っている。
正直な人間、誠実な人間、己の全てをさらけ出す勇気ある人間・・などと評価されたいと密かに切望している。
だから、それはやっぱり自慢話なのである。
そうと分ったら、開き直って「自慢話」を書き続けてやる、と僕は決意した。
ような・・・
かも。