10月末、ペルーより生還。
日本⇔イタリア往復と良く似た時差ぼけのまっただ中にいる。
心身ともに「激しい」旅だった。
入国、リマ経由フアヌコまで
現地時間10月9日早朝、マドリードを経由してペルーの首都リマに入った。
想像を絶するような空港近辺の混雑、渋滞。しかしどこかで見た光景。そう、どこかで何度も見た「想像を絶するような」カオス。
南米、東南アジア、インド、中東、ヨーロッパ・・最近ではギリシャの首都アテネでも同様の混雑を見た。それはたいてい貧困がもたらすもの。
リマの気候は米フロリダや沖縄あたりに良く似ている。花々や木々にも共通するものが多いようだ。
リマに1泊後、フアヌコへ。
途中で海抜4818メートルのティクリオ峠越えがある。高山病に備えて出発前にアスピリン一錠を服用。
長い険しい道程を経て無事に峠を越えた。アスピリンのおかげで少しめまいを覚えただけだった。わずかに息苦しさも感じた。
日本やヨーロッパで海抜5000メートル近辺の山に突然登ったら問題だが、赤道に近い南半球のアンデスの山々ではインパクトが少ないのだ。
2100mのフアヌクで2泊後、3600メートルにあるプンチャオへ。
リマ⇔フアヌクを凌駕する厳しく険しい道。
1000m~2000mの谷底がすぐそこに口を開けている断崖絶壁の山道を、7時間もかけて移動した。
プンチャオからサンルイスまで
PM2時ころプンチャオ着。
人口2千余の村。
道路にはロバと犬と羊と豚が溢れている。それはリマを離れて以来ずっと集落や路上や畑地などの「あらゆる場所」で見てきた光景。
しかし、集落の中で人とそれらの動物が一心同体のように暮らしているプンチャオ村の様子はさすがに面白い。
こんな風景は、日本では極端に貧しかった終戦直後のような時代でもなかった。日本の僻地などに見えた放し飼いの動物といえば、せいぜい鶏ぐらいではなかったか?
プンチャオ村にはもちろん鶏もいるが、羊やロバ、特に豚のインパクトが余りにも大きくて、僕の目にはほとんど印象づけられないのだった(笑)。
2晩滞在後、サンルイスへ。
マト・グロッソの雇い運転手ホアンの運転で。
そこまでで最も険しく危険な道程。
しかしホアンの安全運転振りに安心して、ビデオカメラを回し、さらに写真も撮り続けた。撮影は好調。
三脚もない小さなハンディカメラでのロケだが、ロンドンの映画学校の学生だったころ以来の本格カメラいじり。
撮影を続けながら、自分がやはりロケが好きなんだと実感する。
しかも思うことをカメラマンに伝えるわずらわしさがなく、自らが思い、決めたままをビデオに収める。
撮影技術はカメラマンには及ばずとも、思うことをそのまま実行する爽快感がある。