先日結婚した僕の友人でゲイのカップル、ディックとピーターは同性愛者が子供を持つことに懐疑的である。
ただそれは僕のようにあれこれと勘案した上での結論というよりも、彼らが今実際に子供を持つとしたら、という前提での現実的な話だった。
友人のディックは僕よりも20歳近く年上である。パートナーのピーターは僕に近い年齢だが、それでも50歳を過ぎている。決して若いとは言えない。
そんな彼らが子供を持つのは「いろいろと大変」、だから養子を迎える気はない、というのが2人の一致した意見。
そして、その場合の「最も大きな大変」とは、やはり彼らの年齢が一番のネック、ということのようだった。
もし若かったら子供を持つか、という僕の問いにはディックがこう答えた。
「多分持たない。僕らが結婚した主な理由は、生きている間に法的にも社会的にも【普通の夫婦】と同じ扱いを受けたかったことと、僕が先に死んだときにピーターがスムースに遺産相続ができること、だったんだ。子供のことは考えてもみなかったよ」
と。
それじゃ、他のゲイのカップルが子供を持つことに対してはどう思うか、と僕はまた訊いた。それに対してはデッィクとピーターが口をそろえてひとこと言った。
「う~ん、難しい問題だね・・」
と。
察するに、2人は僕とほぼ同じ考えでいるのではないかと思う。
つまり
当然ながらゲイ差別に反対し、結婚を含む彼らの権利拡大を喜び、もしも彼らの仲間のカップルが子供を持った場合はこれを支持し、断固として子供を差別から守る立場に回る・・
「う~ん、難しい問題だね・・」
とつぶやくように言った2人の声音には、そんな意味合いが込められているように僕は感じた。
誰にとっても簡単には答えの出ない難しいテーマだと思うが、それでもディックとピーターのケースは同性愛者の友人の中では幸福な話であり環境なのである。
最近、長年連れ添った友人夫婦が、妻の同性愛問題で離婚した。またもう1組の友人夫婦は、息子の性同一性障害問題で悩んでいる。
性同一性障害は言うまでもなく同性愛とは異なるもので、病気の一種と診断される現象だが、どちらも誤解や偏見が多く、しばしば混同されて語られたりするのは周知の通り。
僕は先ず2組の不幸な友人夫婦について書こうとずっと考えてきたが、ペルー旅が飛び込み、さらにディックの結婚話が飛び込んだりして先送りになっている。
ここからもしばらく同じテーマで書き続けるか、あと回しにしようか、と思案迷い中・・