ここイタリアでは2月24日に予定されている総選挙に向けて、けんけんがくがくの選挙戦が展開され、昨年の日本の衆院選にも似た政党間の提携や協働や野合が、試されたり進んだり壊れたりしている最中である。
中でもベルルスコーニ前首相率いる中道右派のグループは、財政緊縮策や増税で苦しむ国民の不満に迎合して、モンティ首相の路線を修正し増税策も廃止する、と主張している。
しかし、ベルルスコーニ前首相を始めとする旧政権担当者らは、借金まみれの国家財政をどうするか、という議論には深くは踏み込まない。
しかも前首相自身は財政策の失敗を責められて20011年末に宰相職を辞したばかり。人気の無い増税策を非難して、選挙で票に結び付けようという魂胆だけが透けて見える。
困ったことに、一部の国民の不評を買いつつも堅実な財政策で国内外から高い評価を受けてきたモンティ首相までもが、選挙を意識して減税策の導入を示唆したりする有り様。彼は昨年12月に首相辞任を表明したが、総選挙を経て再び政権を担う可能性もあるのである。
日伊の懲りない面々
日伊の政界を比較検討すればするほど、僕には政権に返り咲いた安倍さんとベルルスコーニ前首相が重なって見えてしまう。
安倍さんにはスキャンダルまみれのベルルスコーニ前首相のような汚れた印象はないが、公共事業を拡大しバラマキ政策を推し進める様は、ベルルスコーニ氏がモンティ首相の緊縮策を批判して減税を声高に主張する姿と何も違わない。どちらも財政規律を無視して再び借金を増やそうとしているだけに見える。
ベルルスコーニさんより一足先に首相の座に返り咲いた安倍さんは、彼一流の財政強化策いわゆる「アベノミクス」を打ち出して景気へのてこ入れを図り、期待感から円安株高が急速に進行して日本中が喜んでいるようだが、それは果たして本当に手放しで喜んでもいい政策なのだろうか。
国民の大きな期待を裏切ったという意味で、恐らく史上最悪と形容しても構わない民主党政権から、タナボタ式に「政権後退(交代)」の恩恵を受けただけの自民党とそれを率いる安倍さんには、大型補正予算を組んで公共事業を中心にこれをバラまく、という古臭い手法を恥ずかしく思ったり怖れたりする感性はないようである。それは古臭いばかりではなく、国家財政をさらに悪化させる可能性が高い危険な政策でもあるというのに。
バラマキはバクチと同じ
アベノミクスが提起する事業規模20兆円にものぼるバラマキ補正予算は、経済学ド素人である僕の目で見ても、一時的には必ず景気浮揚効果があるだろうと考えられる。でもそれは借金まみれの国家財政にあらたな借金を積み上げて成されるもので、回らない首をさらに回らなくしてついにはこれを締め上げる自殺行為にもなりかねない。
借金で家計が苦しいならば、節約をして支出を減らすか、今以上に働いて収入を増やすかしかない訳で、さらなる借金をして苦境を乗り越えようとするのは、バカか怠け者のやり方である。もっともバクチに長けた金融虚業の専門家なら、そういうやり方で巧みに急場をしのぐ場合もあるのだろう。
しかし、そんな安易な方法は一国の経済政策としては避けるべきではないか。借金の上に借金を重ねるアベノミクスに反応して、円安や株高が起きているのは経済実体を伴なわない泡沫的な現象に過ぎない。
とは言うものの、経済は数字や論理やファンダメンタルズだけでは決して説明できない不思議な生き物だし、景気は気なり、という言い回しもあるように、人々の欲や思惑や願いや希望や絶望などが絡まって動いていくものだから、実体がない「アベノミクス」でさえ「実体経済そのもの」であるという矛盾した、しかし正しい説明もまたできるのが市場経済の面白いところである。
経済学者はもっと小説を読め
それでも経済の専門家である学者や評論家や経済記者などの中には、さすがにアベノミクスにまつわる市場経済の実体のなさに警鐘を鳴らす皆さんが多いように見える。それは僕の目には、不幸中の幸いであり頼もしい限り、というふうにも映る。
なにしろアベノミクスは、インフレ抑制が目的の「インフレターゲット」という世界共通の概念を「逆の意味に解釈」してスローガン化したり、借金を削るべき時に逆に借金を増やして公共事業に投ずるバラマキを提唱したり、財政の良心あるいは良心たるべき施設を目指して作られ存在する日銀の独立性を、怖いもの知らずに潰しにかかったりするなどの危険を伴なった、両刃の剣そのものの財政策であることが明らかだと思うから。
しかし、経済に詳しいと自負しているそれらの論客の皆さんは同時に、得てして机上の空論を弄しているに過ぎない場合も多く、彼らが景気や生身の経済のただ中に飛び込んでこれにまみれて呻吟し、喜び、戦い、悲しんだりして実態を把握分析した上で、その動向や意味や先行きを正確に示したためしはほとんどない、と言い切ってもあながち暴論にはならないのではないか。
呼び方を変えれば「経済評論」の専門家に過ぎないそれらの皆さんは、人間の欲や期待や希望や不安や絶望などの心理的要素が、数字や理論や基礎指標等にも増して経済を大きく動かす力である場合が多いことを知らないように見える。あるいは知っていてもあまりそれを認めたがらないように見える。
人の心がまとわり付きねちっこく絡みついて、今まさに生きてうごめいている生身のビジネスの真髄は、経済学の本ばかりをいくら読んでみても分らないのではないか。実際にビジネスにまみれる体験ができないならばせめて彼らは、それらの専門書に加えて、欲をはじめとする人間の心理を暴き、えぐり出しては描く、小説などの文芸作品も大いに読んで勉強するべし。ここ最近にわかに増えたアベノミクスを語る多くの経済専門家の皆さんの説を読み、聞けば聞くほど、その専門的知識の豊富と深度には大いに感服しながらも、僕はそういう思いを一段と強くするのである。