クスコ経由マチュピチュまで

ペルーでは多くの恐怖体験を含む鮮烈過激な旅を続けたあと、仕事抜きの純粋に「旅を楽しむ旅」がやってきた。世界遺産マチュピチュ行である。

 

マチュピチュのあるクスコ県行きの飛行機が発着するのは首都リマのホルヘ・チャベス国際空港。ペルー入国後は立ち寄ることがなかった首都に回って、そこから空路南のクスコへ向かった。

 

クスコ県の県都クスコは、標高3600Mにある人口30万人の街。かつてのインカ帝国の首都でもある。クスコは1530年代にフランシスコ・ピ
サロ率いるスペイン人征服者によって占領破壊された。

 

スペイン人はその後、破壊したインカの建物跡の土台や壁などを利用してスペイン風の建築物を多く建立した。そうやってインカの建築技術とスペインの工法が融合した。二つの文明文化が一体化して造形された市街は美しく、その歴史的意義も評価されてクスコは世界遺産に指定されている。

 

クスコ郊外のサクサイワマン遺跡などを見て回ったあと、車でオリャンタイタンボに至る。オリャンタイタンボにもインカの遺跡が多く残っている。いずこも心踊る山並み、街並み、風景、そして雰囲気。それらを堪能して、列車でいよいよマチュピチュへ。


 

インカの失われた都市

マチュピチュ遺跡は、列車の終点アグエスカリエンテ駅のあるマチュピチュ村からバスでさらに30分登った、アンデス山脈中にある。

山頂の尾根の広がりに構築された街は、周囲を自身よりもさらに高い険しい峰々に囲まれている。平地に似た熱帯雨林が鬱蒼と繁るそれらの山々にはひんぱんに雲が湧き、霞がかかり、風雨が生成されて、天空都市あるいは失われたインカ都市などとも呼ばれるマチュピチュにも押し寄せては視界をさえぎる。

2012年10月23日の朝も、マチュピチュには深い霧が立ち込めていた。麓から見上げれば雲そのものに違いない濃霧は、やがて雨に変わり、しばらくしてそれは止んだが、遺跡は立ち込める霧の中から姿をあらわしたりまた隠れたりして、茫々として静謐、かつ神秘的な形貌を片時も絶えることなく見せ続けていた。

 

マチュピチュの標高は2300Mから2400mほど。それまで標高ほぼ5000Mもの峠越えを3回に渡って体験し、平均3700M付近の高地を移動し続けてきた僕にとっては、天空都市はいわば「低地」のようなものである。インカ帝国の首都だった近郊のクスコと比較しても、マチュピチュは1000M以上も低い土地に作られているのだ。

 

ところがそこは、これまで経験してきたどの山地の集落や遺跡よりもはるかな高みに位置するような印象を与えるのである。遺跡が崖に囲まれた山頂の尾根に広がり、外縁にはアンデス山脈の高峰がぐるりと聳えている地形が、そんな不思議な錯覚をもたらすものらしい。

マチュピチュはまた、自らが乗る山と、附近の山々に繁茂する原生林に視界を阻まれているため、麓からはうかがい知れない秘密の地形の中にある。文字通りの秘境である。 

遺跡の古色蒼然とした建物群が、手つかずの熱帯山岳に護られるようにしてうずくまっている様子は、神秘的で荘厳。あたかも昔日の生気をあたりに発散しているかのようである。同時にそこには、悲壮と形容しても過言ではない強い哀感も漂っている。


遺跡の美とはなにか

古い町並や建造物などの遺跡が人の心を打つのは、それがただ単に古かったり、巨大だったり、珍しかったりするからではない。それが「人にとって必要なもの」だったからに他ならないのである。 


必要だから人はそれを壊さずに大切に守り、残し、修復し、あるいは改装したりして使い続けた。そして人間にとって必要なものとは、多くの場合機能的であり、便利であり、役立つものであり、かつ丈夫なものだった。そして使い続けられるうちにそれらの物には人の気がこもり、物はただの物ではなくなって、精神的な何かがこもった「もの」へと変貌し、一つの真理となってわれわれの心をはげしく揺さぶる。

精神的な何か、とは言うまでもなく、歴史と呼ばれ伝統と形容される時間と空間の凝縮体である。つまり使われ続けたことから来る入魂にも似た人々の息吹のようなもの。それを感じてわれわれは感動する。淘汰されずに生きのびたものが歴史遺産であり、歴史の美とは、必要に駆られて「人間が残すと決めたもの」の具象であり、また抽象そのものである。

マチュピチュの遺跡はインカの人々が必要としたものである。必要だったから彼らはそれを作り上げたのだ。しかしそれはわずか100年後には遺棄された。つまり、今われわれの目の前にあるマチュピチュの建物群は、その後も常に人々に必要とされて保護され、維持され、使用されてきたものではない。それどころか用済みとなって打ち捨てられたものである。

もしもマチュピチュにインカの人々が住み続けていたならば、スペイン人征服者らは必ずそこにも到達し、他のインカの領地同様に占領破壊し尽くしていただろう。マチュピチュは「捨てられたからこそ生き残った」という歴史の不条理を体現している異様な場所でもあるのだ。

マチュピチュをおおっている強い哀愁はその不条理がもたらすものに違いない。必要とされなかったにも関わらず残存し、スペイン人征服者によって破壊し尽くされたであろう宿命からも逃れて、マチュピチュ遺跡は何層にもわたって積み重なり封印されたインカびとの悲劇の残滓と共に、熱帯の深山幽谷にひっそりと横たわっている。

そうした尋常ではないマチュピチュの歴史が、目前に展開される厳粛な景色と重なり合って思い出されるとき、われわれは困惑し、魅了され、圧倒的なおどろきの世界へと迷い込んでは、深甚な感動のただ中に立ち尽くして飽きないのである。