総選挙までほぼ2週間となった現在、イタリアの選挙戦がいよいよ熱気を帯びてきた。劣勢が伝えられていたベルルスコーニ前首相派が巻き返して、情勢が混沌としてきたのである。そこに今日、左派内の不協和音が伝えられて、いよいよベルルスコーニ前首相の鼻息が荒くなってきた。

 

選挙戦初期の頃は、モンティ首相と組む民主党が優勢と見られていた。ベルルスコーニ派の造反で崩壊したモンティ政権だが、総選挙で勝利したあと民主党のベルサーニ書記長の首相就任がない場合は、現首相が再任されるとも見られていたのである(モンティ首相は辞任を表明している)。

 

ベルルスコーニ派はモンティ政権の財政緊縮策、とりわけ極重量級の増税措置を激しく批判して支持を広げてきた。モンティ首相は就任直後から税制改革を断行して「国民が平等に痛みを分かち合う」をモットーに、崩壊の危機にあるイタリアの国家財政を立て直すために突き進んできた。

 

私見を言えば、彼の行く道筋は間違っていないと思う。イタリアは財政再建をきちんとやらなければならない。しかし、やり方が性急に過ぎる。増税比率も大き過ぎる。

 

以前にも書いたことだが、僕はたまたまこの国に多い旧家などの実情を見知っているので、モンティ首相の財政策の危うさを肌身で感じている。

 

彼は政策の方向性は変えずに政策の中身を変えるべきである。つまり改革のスピードを少し落として、増税幅も縮小した方がいい。それでなければイタリア経済はさらに失速して危険水域にのめり込んでいくばかりだろう。

 

ベルルスコーニ前首相は、選挙で勝った暁にはモンティ政権が徴収した税金の一部を現金で各家庭に返還する、とまで公言して支持拡大に躍起になっている。国家財政を破綻の淵まで追い込んだ自らの責任を棚に上げての、凄まじいポピュリズムではないか。

 

イタリア国民の多くは、国家財政への憂慮や経済の先行きへの不安、という大局的な理由からではなく、日々の暮らしの苦しさから、ベルルスコーニ派の空中楼閣的な政策論争にうなずく者が増えている。由々しい事態である。

 

僕はベルルスコーニ前首相に個人的な怨みがあるわけでもなく、モンティ首相や彼の仲間の左派民主党に肩入れをしているわけでもない。イタリアは財政規律を何よりも最優先にして政策を立て直すべきだ、と考えるからベルルスコーニ派のポピュリズムを厭う。しかし、民主党など左派の伝統的かつ極端な経済政策もまた修正するべき、とも考えるのである。

 

そうしたイタリアの状況を見るとき、僕はやっぱり日本の現実との比較をしないではいられない。ベルルスコーニの無責任な大衆迎合指向はアベノミクスと重なって見える。

 

アベノミクスは今のところはとてもうまく行っていると思う。財政規律を無視した空中楼閣的な政策ながら、景気は気なり、の言葉通りに人々の期待や思惑や欲望がポジティブに作用して、順調な経過をたどっている。

 

その状態が長く続けば、空中楼閣はいつか実体になって、日本経済は真に立ち直るかもしれない。それを期待しつつも、僕はやっぱり借金の上に借金を重ねるアベノミクスを危惧する。

まず財政規律を改革の一丁目一番地に据えた上で、景気浮揚策を考えるべきだと思う。

 

財政規律と景気浮揚策は往々にして対立するものである。でも日本の場合はそんなことを言ってはいられないと感じる。国の借金が1000兆円。国民一人当たり750万円にもなる莫大な財政赤字を減らす算段をしてから、景気浮揚策を練るべきではないか。

国が沈没しかねない状況で、一時しのぎの祭を演出して苦境を忘れようとするのは間違っている。日本もイタリアも・・

 

僕は妻の実家の伯爵家の税金対策に翻弄される苦しい毎日の中で、苦しいけれどもそれはイタリアにとって必要な大手術なのだから、何世紀にもわたって特権を享受してきた伯爵家の義務だと考えて、政府の緊縮増税策を支持し、それに添う形で動いている。今のところはそれが僕の嘘偽りのない心境である。

 

ただ、再び繰り返しになるが、モンティ政権のやり方は方向性は間違っていないものの、動きが急激に過ぎて危険だとは強く思う。