インカの人々が建設から100年後になぜマチュピチュを捨ててそこを去ったのかはっきりとは分っていない。

 

インカびとは文字を持たず、征服者のスペイン人はマチュピチュそのものの存在を知らなかったから、記録に残す術がなかった。

実はマチュピチュが建設後100年で遺棄された、というのも推測に過ぎない。

 

周知のようにマチュピチュには多くの謎が秘められている。それは主にインカびとが文字を持たなかったことに起因している。実記が何も残っていないのだ。

 

たとえば、なぜ彼らは外界から隔絶された山の頂上に街を作ったのか。

 

彼らは一体どうやって一つ5トン~20トンにもなるたくさんの巨石を高山に運び上げたのか。

 

そしてどこから。

 

また鉄器具を知らなかった彼らはどうやってそれらの巨石を精巧に掘削し、切り整え、接着し、積み上げていったのか。

 

など。

 

など。

 

謎には、研究者や調査隊や歴史愛好家などの説明や、憶測や、史実に基づいた推論などが多くある。

 

それらの謎のうちの技術的なもの、たとえば今言った「巨石を運ぶ方法」とか、それを「精巧に細工するテクニック」などというのは、正確には分らなくてもなんとなく分かる。

 

つまり、インカびとは巨石や岩を細かく加工するペッキング(敲製)という技術をマチュピチュ以前に既に知っていて、それを活用した。マチュピチュ以外のインカ遺跡にも、ペッキングによる巧緻を極めた岩石細工は多く見られるから、これはほぼ史実と考えてもいいだろう。

 

また巨岩を運ぶ謎についても、傾斜路を造るなどの方法で各地の古代文明が高い技術力を持っていたことが分っている。マチュピチュの場合は、その立地から考えて、他のインカ遺跡と比較しても格段に難しかっただろうが、当時の人々の「割と普通の知恵」の範ちゅう内のワザだった。

 

たとえそうではなくても、巨石文明や石造りの構築物という意味では、エジプトのピラミッドに始まり、ギリシャ文明を経て古代ローマに至る地中海域だけを見ても、マチュピチュを遥かに凌駕する「ハイテク」が地上には存在した。しかもそれは15世紀前後のマチュピチュなどよりもずっと古い、紀元前の文明開化地での出来事であり人類の知恵である。

 

マチュピチュの建造物は言うまでもなく美しく優れたものだが、技術力という意味では地上唯一と呼ぶには当たらない、むしろ「ありふれた」と形容する方がふさわしい事案、だとも言えるのではないか。

 

マチュピチュの鮮烈はもっと他にある。つまり「マチュピチュはなぜそこに、なんのために作られたのか」という根源的な、しかも解明不可能に見える謎そのものの存在である。

 

その謎についても百人百様の主張がある。よく知られている論としては、たとえば

 

マチュピチュはインカの王族や貴族の避暑地として建設されたという説。

 

あるいは祭や神事を執り行なうための聖地説。

 

またそこが遺棄されたのは、疫病が流行って人が死に絶えたから、と主張する研究者もいる。

 

いや、そうではなく、気候変動によって山の斜面を削って作られた畑に作物ができなくなり、暮らしていけなくなった人々がそこを捨てた、とする説もある。

 

マチュピチュ遺跡に実際に立ってみての僕の印象は、そこは祭祀のためだけに造形された場所ではないか、という強い感慨だった。

 

アンデスの山中深くに秘匿された森厳な建物群が、押し寄せる濃霧におおい尽くされて姿を消し、霧の動きに合わせては又ぼうと浮かび上がる神秘的なパノラマは、いかにも霊妙な儀式を行なうためだけに意匠された壮大な徒花、という感じが僕にはした。

 

でもそれには矛盾点も多い。たとえば祭祀のためだけの場所にしては、人の住まいのような建物が多いこと。

 

また街のある山の斜面に多くの段々畑が作られて、トウモロコシやジャガイモなどが栽培されていたこと。

そういう作物は神事にも使用するだろうが、それにしては畑の規模が大きい。やはり住民の食料として生産されていた、と考えるのが理に叶うようである。

 

さらに街そのものも、宗教儀式のためだけの施設と見なすには、畑同様に規模が大き過ぎるように見える。

 

それらはほんの一例に過ぎない。マチュピチュには他にもたくさんの矛盾や疑問や驚きがある。しかし、僕にはどうしてもやっぱりそこが、神聖な儀式のための大がかりな設備、というふうに見えて仕方がなかった。

 

マチュピチュには俗なるものが一切ないように僕の目には映ったのだ。その位置する場所、山岳に秘匿された地勢、景観、あらゆる造形物の玄妙なたたずまい、空気感、茫々たる自然・・それらの一切が聖なる秘儀にふさわしい組み合わせ、お膳立てのように見える。

 

そうした印象はもちろん、マチュピチュの失われた時を偲ぶ、僕の感傷がもたらすものに違いない。

しかし、いかなる具体的な描写や考察をもってしても表現できないであろうマチュピチュの美は、そうした感傷や旅愁や感激や深いため息などといった、いかにも「理不尽」な人の感性によってしか把握できない場合が多い、歴史の深淵そのものなのである。