今日は3月8日。
男が女にミモザの花を贈って祝う女性の日。
イタリアの例年の習わし。
今年はミモザの花が少ないように感じる。
開花が遅れているのか、道路脇の屋台などで売られているミモザの花束の山も、例年より薄いようである。
この時期に多く咲き乱れるミモザと同じ黄色の花、レンギョウも数が少ない。
と言うか、僕の仕事場兼書斎から見えるレンギョウの黄色い花々は、今年はまだ一切見えない。
2月中旬以降、雪の多い寒い日が続いたから、やっぱりきっと花々の開花が遅れているのだろう。
天気が回復すれば、イタリアらしく一気に春めいて花も咲き乱れるに違いない。
その日が待ち遠しい。
3日後の11日は東日本大震災2周年。
東北の被災者の皆さんにとって2011年3月11日は永遠に「今」に違いない。
当事者ではない僕でさえ大震災を忘れることはあり得ない。
が、あの巨大な悲しみも恐怖も、とてつもない失意も何もかも、たった2年という時間の、記憶蓄積のベールに包まれて少し見えづらくなっている。
人間は薄情で利己的で忘れっぽい存在だ。
でも、だからこそ、凄まじい不幸や悪夢のような体験も、いつか克服することができるのかもしれない。
忘れることができなければ、いつまでもその重圧に押しつぶされてついには壊れてしまいかねない。
心の傷の回復とは、つまり「忘却」である。
極大の惨禍の記憶は無論消え去ることはない。
しかし凄惨な個々の出来事の詳細が、少しずつ記憶蓄積のベールに覆われて行き、やがて癒しの海に沈んで、ついに安らぐ。
爛漫と咲くミモザやレンギョウの花を伴なった、そんな春の日が一刻も早く被災者の方々に訪れることを祈りたい。