【加筆再録】

イタリアのマリオ・モンティ前首相が、自ら率いる小政党「市民の選択(scelta civica)」の党首を辞任した。

2011年末、モンティ前首相はイタリア財政危機を回避するべく政権の座に就き、改革を推し進めたものの、急激な増税と財政緊縮策が富裕層 と大衆の両方から嫌われて失脚。その後も凋落し続けて、ついに「市民の選択」も追われることになった。実は彼はそれだけに留まらず、ひょっとすると歴史に悪 名を残すかもしれない瀬戸際にいる。
 
欧州危機は「潰れ貴族」も量産する

「潰(つぶ)れ百姓」という歴史的事実を表す言葉がある。

江戸時代、凶作や税(貢租)の重さや、商品経済の浸透による負債の累積などが原因で、年貢が納められなくなって破産した農民のことである。

潰れ百姓たちは飢え、餓死し、生きのびた者は江戸などの都市に流れ込んで、そこでも悲惨な生活を送った。

今も世界経済に影を投げかけている欧州の財政危機は、イタリアで「潰れ百姓」ならぬ「潰れ貴族」を大量に作り出しかねない状況を生み出している。その責任は実はマリオ・モンティ前首相にある。

フランス革命のような激烈な世直しが起こらなかったイタリアには、現在でも古い貴族家が所有する館などの歴史的建造物が数多く存在している。またイタリアの世界遺産の登録件数は2013年現在世界一(49件)。世界の文化遺産の40%がこの国にあるとも言われている。

イタリアの膨大な歴史遺産の有様はざっと見て次の如くである。
1)大規模な歴史的旧市街centri storici principali:900箇所  
2)小規模な歴史的旧市街centri storici minori:6850箇所 
3)歴史的居住集落nuclei abitati storici:15.000箇所
4)歴史的居住家屋dimore storiche:40.000 軒 
5)城及び城跡rocche e castelli:20.000箇所
6)空き家の歴史的居住家屋abitazioni storiche non utilizzate:
1.300.000軒
このうちの4)が貴族家などの歴史的建造物群の一つ。つまりイタリアには「現在も人が住んでいる」4万軒もの貴族の館やそれに準ずる古い建築物が存在するのである。また6)の人が住んでいない貴族館などの歴史的建築物を含めると、なんと134万軒も。

辛うじて生き延びてきた貴族の末裔たち

そうした家の固定資産税は低く抑えられ、相続税はほとんどゼロに近い優遇策が取られてきた。それはなぜか。

それらの古い広大な家には、膨大な維持費や管理費が掛かるからである。

本来ならほとんど全てが国によって管理されるべき歴史遺産や文化財に匹敵する建物群が、個人の支出によって管理維持されている。

イタリア共和国は彼らの犠牲に応える形で税金を低く抑えてきた。

僕は今、「犠牲」と言った。それは真実だが、外から見れば「犠牲」などではなく逆に「特権」に見える場合も多い。また、広大な館を有する貴族や名家の中には、今でも充分に実業家などに対抗できるだけの富を維持している者も、わずかながらだが確かにいる。

しかし、そうした古い家々のほとんどは、昔の蓄えを食い潰しながら青息吐息で財産の維持管理をしている、というのが家計の状況である。固定資産税や相続税がまともに課されたら、彼らのほとんどはたちまち困窮して家を放棄するしかないであろう。

政治のかけひき

イタリアの歴代政権は、国家財政が困窮するたびにそうした家への課税を強化しようとしたが、増税の結果「潰れ貴族」が出現して逆に国家の財政負担が一気に拡大するリスクを恐れて、一回限りの特別課税などとしてきた。

イタリア中の貴族家や旧家の建物を全て国が維持管理することになれば、イタリア共和国の国家財政は明日にでも破綻してしまうだろう。

一方でイタリアには「条項18」と呼ばれる世界でも珍しいほどの労働者保護の立場に立った法律がある。

それは実質、雇主が労働者を解雇できない強い規制を伴なうもので、イタリアの労働市場をガチガチに硬直させている。

要するにこの国の経営者は「条項18」を恐れるあまり、めったに人を雇わないのである。その結果古くて無能な労働力が会社に残り、そのあおりを食って若者の失業者が増え、経済のあらゆる局面が停滞して悪循環に陥る、ということがくり返されてきた。

今回のイタリア財政危機を回避するべく政権の座に就いたマリオ・モンティ前首相は、様々な改革を推し進めたが、中でも彼がもっとも重要と見なして取り組んだのが「条項18」の改正。必要に応じて経営者が労働者を解雇できる普通の労使関係に戻すべく動いた。

そこで出てきたのが、例によって歴史的居住家屋への増税案。「国民が平等に痛みを分かち合う」ことをモットーにしたモンティ政権は、40年 以上前に発効した「条項18」を死守しようとする強力な労組への懐柔策として、これまた長い間改正されずに来た貴族館などへの増税をバーターとして提示し たのだった。

最大で当時(2012年)の年間税率の6倍にもなる固定資産税を課すことも検討された。それは減額されたが、歴史的居住家屋などを有する「見かけの富裕層」への大幅な固定資産税の増税は断行され、それは現レッタ政権にも継承されている。

静かな革命

大幅な増税がこのまま継続されて行った場合、イタリア全国で相当数の「潰れ貴族」家が出るのはほぼ間違いない。イタリアでは暴力を伴なわない革命、いわば静寂革命が進行中なのである。

栄華を極めた者が没落するのは歴史の必然である。古い貴族家が潰れたなら新しく富を得た者がそこを買い入れて、建物の歴史を新しく書き続けていけば良いだけの話である。

しかし、今回のような不況のまっただ中で「潰れ貴族が」出た場合、彼らの住まいなどの歴史的建造物が打ち捨てられたまま荒廃する可能性が高くなる。

なぜなら新規に富を得た実業家なども経済的に困窮している時期だから、買い手が付かなくなるケースが増大すると考えられるからである。

膨大な数のイタリアの歴史的遺産は、たとえそれが私有物であっても最終的には国の財産であることには変わりがない。

従ってモンティ前首相は、事の成り行きによっては、国の文化遺産を破壊したトンデモ首相として、歴史に名を残す可能性も無きにしも非ずなのである。