イタリア・ベルルスコーニ元首相が11月27日、国会の本会議で上院議員資格を剥奪された。議員生命に終止符を打たれた元首相は、今後6年間は立候補を含むあらゆる政治活動も禁止される。
1994年にまるで彗星のようにイタリア政界に現れて以来20年、ベルルスコーニ氏は4期10年近くに渡って政権を担い、数々のスキャンダルにまみれながらも常に政局の中心にいて伊政界を牛耳ってきた。
彼は議員失職の2日前、最高裁が8月に禁錮4年の有罪判決を言い渡した脱税事件の再審理を求める、と表明。それを理由に国会での投票の延期を求めた。国会はそんなことは意に介さず、前述のように元首相を上院から追放した。
元首相の申し立てを支持する人々は、国会での投票を前にローマに集結し、上院からのベルルスコーニ追放は「民主主義の死」だとして、黒ずくめの喪服風の装いで演説をする同氏に拍手喝采、気勢を上げた。僕はその様子をテレビ映像で見て、今度こそベルルスコーニ氏の「終りの始まり」を確信した。
黒一色の身なりで叫ぶ元首相と歓呼する群集の姿は、黒シャツ隊のファシストやナチスの集会に酷似していた。ベルルスコーニ氏と支持者がファシストというわけではない。ファシズムへの総括は、ドイツによるナチズムへの徹底否定と同様に、イタリアではほぼ国民的合意に達している。中道右派を自認する元首相と支持者は、たとえば侵略戦争を侵略戦争と認めない日本の右派、あるいは中道右派などとは明確に一線を画する。
黒ずくめの身なりは、前述した「イタリアの民主主義の死」を悼む、という意味合いで喪服を模したのである。それはべルルスコーニ氏自身の発案だったらしいが、ファシズムを連想させたという意味で、大きな間違いだったと言える。
元首相はメディア王と別称されるように、テレビや新聞雑誌の紙媒体を多く傘下に収める手法で、イタリア財界をほぼ支配した。その支配の最大の力は、イタリア国営放送に対抗する形で経営された、彼の巨大民放ネットワークだった。そこで蓄えた強力な財力を背景に彼は政界に打って出て、ここでもたちまち権力を得て20年にも渡ってイタリア政界に君臨したのである。
その流れの中で、元首相の権力の源泉であり続けたのがテレビであり、テレビとは基本的に巨大なパブリシティ(広告、宣伝、広報活動、PR, 渉外)の塊という側面を持つ。ベルルスコーニ氏はそのことを知悉していた。
彼は多くテレビ媒体を遣って、直接間接に自らの政治基盤また政治信条の広報活動を押し進めた。彼が世界中の同類の政治家と大きく違うのは、ベルルスコーニ氏自身がテレビに頻繁に顔を出し、主張し、ディベートに加わり、人々に話しかけ、祭りに参加し、人々と共に遊び、これでもかこれでもかという具合に自らを露出し続けたことである。
その過程で彼は女性スキャンダルや、人種差別を含む多くの失言や、収賄やマフィア関連疑惑などなど、世界中のマスコミが喜ぶ話題を提供し続けて彼らに追求され、さらに露出度を高めるということを繰り返した。
そうやって彼は大富豪且つ権力者であると同時に、イタリア最大の大衆芸人へと変貌して行ったのである。芸人や大衆スターが政治に足を突っ込む例は世界に多くあるが、政治家が政治家である事実によって、メディアに追いかけられて有名になる形に加えて、自らが積極的にメディアに顔出しをする手法によって、政治家であると同時に大物の大衆芸人にもなった、という事例を僕は寡聞にして知らない。
パブリシティーを知り尽くしていた氏のビジネス哲学を表す例を、僕自身の体験に即して一つだけ挙げておきたい。
世界屈指のイタリア・プロサッカーリーグ「セリエA」には20の強力軍団が所属するが、そこでほとんど毎シーズン優勝争いに加わっているのが、ミラノを拠点にするACミランである。世界で最も多く国際試合を制しているチームで、オーナーはベルルスコーニ氏その人である。
テレビ屋の僕はイタリアのプロサッカーの取材にもよく関わってきた。ACミランの取材も多くした。そこでつくづく感じたのがミラン広報部のマスコミ扱いのうまさだった。
彼らは取材で訪れる例えば僕らのようなテレビクルーを丁重に扱い、便宜を図り、要求にきびきびと対応し、徹底して「立てて」くれる。取材される側のそうした態度は、マスコミ関係者をつけあがらせかねない危険を常に伴うが、自らをうまく喧伝し世間に対する受けを良くしていくためにはとても重要な戦略である。ACミランはオーナーで会長でもあるベルルスコーニ氏の意向で、あくまでもマスコミに開放的な計略で臨み、大きな成功を収め続けている。
ミランの明確な対マスコミ戦術は、他のセリアAトップチームのインテルやユベントスと比較するとさらに明らかになる。インテルはマスコミ対応が極めて閉鎖的、またユベントスは軍隊並みの融通の無さでマスコミに対応する。これは僕が実際にそれらのチームと関わった経験からの実感。
なお僕が偏向意識でそう言っているのではないことを証明するためにひと言付け加えると、僕は取材で良い思いをさせてくれたACミランのファンではなく、ロケで散々苦労したミランの天敵・インテルのファンである。でも同時に、仕事での付き合いからミランに対しても好感を抱き続けている、という中途半端なサッカー愛好家でもある。
喧伝・広報の重要性を知り尽くしていたベルルスコーニ氏だが、議員失職決議に抗議する重大な局面で大きなミスを犯した。自らを政治的に埋葬しようとする勢力にあらがって、黒ずくめの服装で印象を強めようとしたが、これは逆効果を招いた。ファシズムのネガティブな過去に自らが近い存在でもあるかのような印象を与え、あまつさえ彼自身がファシストそのもであるという感触まで刻印する結果になった。
元首相は議員資格を剥奪された今後も、自由国民党から「フォルツァ・イタリア」と党名を変えた勢力の代表に居座る。従ってこの先も政局に一定の影響力を持ち続けることが確実だと見られている。同氏の巨大なビジネスネットワークも健在である。
しかし、彼の神通力の根源とも言えるメディア活用能力、パブリシティ力、高いコミュニケーション能力に陰りが見え出した今、この稀代の政治役者、あるいは大衆政治スター、あるいは政治芸人の終焉ももう時間の問題だと僕の目には映るのである。