毎年いま頃になると、わが家を含むイタリア全体のチェノーネ(大食事会)のことが気になる。
チェノーネとは、クリスマスイブの夕食とクリマス当日の昼食、また大晦日から新年にかけての夕食のこと。
いずれもけたたましい量の食べものや飲みものが供され、大晦日のそれはしばしば元日の未明にまで及ぶ。わざわざチェノーネ(大食事あるいは大夕食)と呼ぶのもそれが理由。
本年末のチェノーネで消費される飲食物はイタリア全土で26~28億ユーロ(4000億円前後)と試算されている。
このうちクリスマスイブ、つまり今夜のチェノーネでは魚介類が多く食べられるが、そこで費消される魚介類は、昨年に比べて12、5%少ないと見積もられている。
ちなみにイタリアでは、クリスマスイブには魚介類を食べるのがほぼ伝統、と言ってもよいくらいに普及していて、その他のチェノーネには圧倒的に肉類が多い。
しかし決まりはなく、それぞれの好みでイブに肉料理もあればクリスマス当日や大晦日に魚介もあり、という方がより正確である。
イタリアの年末商戦は財政危機のあおりで昨年も低調だった。それは今年も続いていて、至るところで「昨年比~%減」という数字が並ぶ。
この国に於ける景気回復の目安の一つは、年末年始のチェノーネの消費額が前年比を上回る時、という考え方もできる。食の国ではやっぱり胃袋が重要なんですね。
ちなみに息子2人が帰省しているわが家では、今夜は僕が腕を振るう刺身と妻の多分アクアパッツァ。
明日の昼食は親戚の持ち回りの昼食会へ。
年末のチェノーネには大きな変化がある予定。
クリスマスを家族で過ごしたあと、大晦日には友人や仲間を招いたり招かれたりして、チェノーネを催して賑やかに過ごすのが例年の習わしだが、今年はそれをやめる、と決めたのである。
大晦日から新年にかけてのイタリアはひどく騒がしい。チェノーネの集いで共に飲み、食い、歌い、花火や爆竹を鳴り響かせて賑やかに過ごす。まるで中国の正月のようである。
僕は若い頃から花火や爆竹の音をうるさく思い、夜更けの大宴会を少し鬱陶しく感じ続けてきた。
日ごろ太り気味の体を持て余しているこの飽食の時代に、ナニが悲しくて年末から新年の真夜中にパクパク大食らい、どんどんパチパチの爆音に耳を劈(つんざ)かれなくちゃならない。
大晦日は静かに除夜の鐘を聴きながら、熱燗やみかんや年越しそばや或いは肴などの軽食で十分・・とずっと密かに思いつづけてきた。
いや、たくさんの友人や親しい仲間たちと浮かれ騒ぐ年越しは、それはそれで楽しくて愉快で、もちろん良さも大いにあるのだけれど・・。
その気になれば大晦日には、日本衛星放送から流れるNHKの「ゆく年くる年」の除夜の鐘も聞こえる。
除夜の鐘はなくとも、それを静かに想えば、必ず聞こえてくるのが自らの煩悩の大音響・・
静かに深く、煩悩を見つめる平穏にまみれて、あるいは煩悩から目を逸らす一瞬の喜びにひたって、一年の終りを過ごすのもまた一興である。
クリスマスを一緒に過ごした息子2人は、イタリアの慣習通りに今年も恋人と旅行に行ったり友人らと過ごす予定。
そこで僕ら夫婦は、静かに熱燗やワインでも飲みながら衛星放送の紅白歌合戦、あるいはDVDの映画でも見ながら過ごさないか、と妻に提案したら意外にもあっさりとOKしてくれた。大晦日の騒ぎは彼女もやっぱり少し疲れるのだという。
という訳で、大晦日には友人らの招きも断って、日本式に年越しをすることにした。
ただ、それを今後も続けるかどうかはわからない。
郷に入れば郷に従え、というのが外国で生きつづけている僕の第一のモットーである。
イタリア人の妻の気持も慮りながら、友人らと賑やかに祝いたくなったらまた元に戻せばいいさ、と僕は心ひそかに柔軟に考えてはいるのだけれど。