先日の拙稿「パク・クネ韓国大統領への公開状」に寄せられた、元NHKマン「H・Y氏の反論」への私の反論と、彼にメールの転載を頼んだいきさつです。H・Y氏の主張を先に掲載したため話が前後し、且つ安倍首相の突然の靖国神社参拝もあって、時事話としてはズレた感じになってしまいましたが、歴史認識問題としての本質はズレていないとも考えられますので、遅ればせながらここに寄稿することにしました。


 

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H・Yさま 


 

拙記事への反論をいただき、ありがとうございます。本来ならば、新しく文章を書き起こすべきところですが、時間節約と具体性を考慮して、いただいたお便りに返信をする形にします。


 

その前に韓国問題に関して私がほぼ100%賛同する松本徹三さんの記事一部のアドレス(URL)を貼付させていただきます。

http://agora-web.jp/archives/1565424.html

http://agora-web.jp/archives/1560865.html#more

http://agora-web.jp/archives/1542271.html

それらの韓国論に対してはすぐに、保守系の論客からの自虐史観糾弾論、韓国蔑視論、韓国併合正当化論、慰安婦軍不関与論etc、etc・・の非難が轟々と湧くことはご存じの通りです。繰り返しますが、私は韓国問題に関しては松本氏とほぼ同じ思想信条を持つ者です。そして私から見ますとあなたも同様のお立場であるように見えます。そのことを明確に申し上げた上で、ここからいただいたメールに反論また賛同させていただきます。少し長くなりますが、最後にあなたへのお願いを書かせていただきますので、途中で投げ出さずに読了下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。


 

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仲宗根雅則様


 

★「パク・クネ韓国大統領への公開状」を拝読しました。その趣旨にはほとんど賛同します。にもかかわらず、違和感をぬぐえません。あなたは同じような公開質問状を安倍首相にも出していらっしゃるのでしょうか。もし出していらっしゃるなら、私の違和感は払拭できるのですが。

 ― このご指摘には少々驚きました。それは私の論への反駁ではなく、あなたご自身の願望なのではないでしょうか。私はパク・クネ大統領への公開状を書いたのであって、安倍総理への公開状には今のところは興味もなく、またそれが存在しないことが、私のこの記事の存在理由の否定になるとも考えません。私は日本は前大戦の総括をきちんとするべき、と信じ常にそう主張し私の今回の記事の中でも、まずそのことから先に述べています。今回の私の記事ではそれで十分です。何でもかんでも詰め込むのが論ではありません。ただでもだらだらと長い私の下手くそな文章が、ますます長くなるだけです。


 

★私の違和感を大雑把に述べます。従軍慰安婦問題も含めて、朝鮮半島での日韓(朝鮮)の政治的問題の根幹には、戦前の日本による長期間の侵略行為があります。そして戦後の日本側の「このことへの態度」です。日本が加害責任を認めて、被害者が納得する形で謝罪をし、その後の言動も一貫しているか、です。これを俗っぽく言いますと「殴ったもの」と「殴られたもの」との間の問題です。「殴ったもの」はすぐにその事を忘れますが、殴られた側は永遠に忘れません。まして、殴った側が「もういい加減にそのことは、忘れろよ。」さらには「殴られたお前にも悪い所はあった」さらには「殴られて良かったこともあったろ」などといつまでも言い続けているとしたら、殴られた側が納得すると思いますか。

 ― まったくおっしゃる通りです。差別と同じ構造ですね。差別であるか否かを決めるのは「差別されている側」です。差別されている側が差別されていると感じている限り、それは必ず差別です。従って差別者や差別に気づかない者や無関心者等々は、黙ってそれを認めなくてはならない。私はこのことを十分に知っているつもりでいますし、それを認めて微力ながら差別撤廃への努力もしています。韓国問題も全く同じ構造ですね。日本は先の侵略戦争をまさしく侵略戦争と認め、過去のあらゆる暴挙を認めて再出発をするべき、と私は常々考えています。また日韓併合正当化論に対しても否定的立場です。ただ、私は「今回の」記事の中ではこのパラグラフに書かれていること(の反対論)は一切書いておりません。記事の論旨が違うのです。


 

★今日、「殴った側の態度」と「対話への姿勢」を問わないで、殴られた側だけに向かって『日本を貶める言動を収めて、対話への努力を』というのは、その趣旨は正しいとしても、客観的に考えて《虫が良い》と言う印象です。

 

― 私の劣悪な文章をきちんと読んでいただき、その稚拙な内容の意味をズバリと見抜いて下さった方のツィート文を貼付します。

【長田達治(おさだ・たつじ) ‏@osada_tatsuji 11月26日

【パク・クネ韓国大統領への公開状】http://agora-web.jp/archives/1569176.html …随分長い文章だったので、読むのに骨が折れた。日本をここまで辱めて気が清々しただろうから、そろそろ対話をしなさいよというイタリア在住日本人テレビマンからの優しい忠告だ。それにしても朴槿恵大統領は頑固だね。】


 

この長田さんという方が正確に見抜いていらっしゃるように、私は韓国にも、パク・クネさんに対しても基本的には柔軟な気持でいます。同時に私は、日本の暗部を指弾するパク・クネさんの「ぶれない」態度には敬意も覚えています。またアジアという男尊女卑の巣窟ともいうべき社会の、その最たる国々、つまり日中韓の一角である韓国で初の女性大統領になった、という素晴らしい出来事も慶賀します。しかし、悪化する一方の日韓関係に目を向けた場合、彼女がただひたすらに意地を張っていても全く問題の解決にはなりません。民主主義あるいは自由主義世界における国家の外交及び対外戦略とは、「押して、引く」こと、あるいはその逆のことでもあります。民主主義とは妥協することなのです。それを知らなければ、自説のみをわめきたてて必ず暴力を誘います。暴力には至らなくとも、相手の反感を買って事態が悪化するだけです。パク・クネさんの外交あるいはわが国への外交無視は、まさにそんな領域にまで達している。パク・クネさんの日本への厳しい態度は、軍国主義日本の被害国の元首としては理解できることだと私は思います。そして彼女はそのスタンスで十分に押しまくった。だから今度は引け。引いて対話のテーブルに着け、というのが私の主張です。あたかも私が「殴った日本」を正当化しているというような趣旨の理解は、誤読も甚だしいと言わせていただきます。


 

★あなたがまず、殴った側の現在の代表的存在である安倍首相に「対話を模索するための公開質問状」を発表し、その後に【あるいは同時に】、韓国大統領に公開質問状を出すのが順番ではないでしょうか。何よりもまずは殴った側の態度を問題にすべきだと私は考えますが。それとも、従軍慰安婦問題も、それから派生する賠償問題も、「すべては解決済み」だ、「何度も謝って来たじゃないか。それを今さら言われてもズルイ」とお考えでしょうか。私は、「殴られた側が問題はまだ解決していない」と考える以上は、「解決していない」と考えます。

 ― 安倍さんはナショナリストである、と私ははっきりと書いています。ナショナリストとは国家主義者のことであり、右翼のことであり、もっと言えば国粋主義者のことです。ナショナリストですから、彼は当然あなたがおっしゃる「殴った側」の一人です。同時に我々日本国民も全員が殴った側です。従って正確に言えばナショナリストとは、殴ったことを認めない者の事です。少し違いますね。ただ、私はここではそのことで直接に安倍氏を糾弾しようとは思いません。なぜなら彼は、対話ということに関する限り、しっかりとオープンに話し合いましょう、とパク・クネ大統領に呼びかけています。そこに偽善が隠されていようと、また対話の卓で安倍さんが国家主義的史観に基づく自説を述べようが構わないのです。むしろそうした方がいい。なぜなら、日韓首脳同士の会談(中国他との対話も同様です)は、間違いなく世界から監視され彼の主張は必ず国際世論に反響して行きます。私が狙うこと、最終的に見たいのはそこです。日本の右派勢力の強硬論は「外圧によってしか沈静できない」というのが私の持論なのです。引き籠もりの暴力愛好者のように、視点も行動も国内のみに粘着して国内でわめく保守過激派の人々は、欧米諸国、特にアメリカがこれに異をとなえただけですごすごと引き下がる。あるいは論を変える。安倍さんが最近、従軍慰安婦や歴史認識でアメリカの不評を買ったとたんに自説を引っ込めたのがその典型です。もちろん彼らは自説をひとまず納めただけで自省や変更はしていない。しかし、それは彼らを対韓柔軟路線あるいは友誼追求方向に導く始まりにはなります。あるいは始まりの「きっかけ」になり得ます。いえ、そういう形でしか日本が真に過去を総括・清算する方向に動くことは無い、と私は考えているのです。そうした意味からも、私は自らの主張と同時に、私が賛同する海外、特に欧米世論(メディア)の紹介なども絶えず続けていくつもりでいます。


 

★個人的な体験ですが、昭和天皇が亡くなった時、私はロンドンにいてそのニュースを知り、街頭の新聞屋で手に入る新聞数紙を購入しました。どの新聞も『天皇の死』が一面トップでした。論調はほとんどが厳しいもので、「エビル・イズ・デッド。悪魔が死んだ」「素晴らしいニュースだ」といった感じです。「第二次世界大戦中に元首だった人物で最後の生き残り」「当時の元首で一番最近に亡くなったのがスペインのフランコ。フランコを越える長期元首」「ヒットラー、ムッソリーニと同じく枢軸国の元首で、今なお同じ地位にいたのがヒロヒト」・・・。新聞やテレビでは、東南アジアで捕虜となった英国兵が、国際法を無視した日本軍によってどれほどひどい目に遭わされたかが繰り返し語られていました。

 ― 心奥の欧米の思いは今も全く変わっていません。だから私が、私自身の記事の中で指摘した次のようなことがやすやすと起こります。

『戦後一貫して築いてきた「平和国家日本」「平和主義者日本人」のイメージは、わが国の経済大成と共に欧米諸国民に好意的に見なされ、あまつさえ賞賛されて来ました。しかしごく最近になって、ナショナリストと見なされる安倍首相と周辺への警戒感から、そのイメージにたちまち疑問符がついて、特にインテリ階級の人々の日本への印象が曇り始めています』

あるいは

『私は1980年代に英国に留学した経験がありますが、表向きは日本や日本人に対して好意的な感情を持っている英国人でも、前大戦時のわが国に対しては強い疑念と不信感を持っていることが分りました。田舎町のパブで、実際に日本軍と戦った経験のある老人から「私は日本と日本人が嫌いだ。凶暴で野卑で油断がならない」と静かな口調で言われて衝撃を受けたこともあります』


それらの出来事は外国、特に欧米諸国に住んだことのある日本人で、少しの感受性と想像力を持つ者なら必ず経験することです。これがアジア諸国などになると分かり難くなることはありますが。なにしろ彼らは欧米人と違って少し日本人に遠慮するところがありますから。


▲日本人は戦後すっかり忘れてしまいましたが、世界史的に見れば、ヒロヒトはヒットラー、ムッソリーニと同列の存在なのです。例えて言えば、ヒットラーが自殺しないで戦後も罰せられることもなく「20世紀の後半までドイツの元首であった」と考えれば、日本という国がどれほど異常な事態を内包してきたかが理解していただけるでしょう。ここでも殴った側はすっかり忘れて、殴られた側はいつまでもその恨みを忘れない、その構図が見えます。

 ▲そして、その天皇を戦後、戦犯として断罪することもなく、象徴という名の元首として仰いで来たのが日本および日本人です。少なくとも日本人は戦争責任者を自ら罰したことがありません。その上、戦勝国による戦犯断罪【東京裁判】すら、国民から信任された多くの政治家たち(自民党と維新の会の多数。公明党や民主党の半分前後)は「あれは無実」と言い続けています【靖国参拝問題】。

これは、どう考えても、政治家ではなく日本人の問題でしょう。

 ― 前大戦の「総括」が本当になされるならば、天皇の戦争責任問題も当然避けては通れないでしょう。昭和天皇は亡くなったとはいえ、米国の押し付けではない形での「日本人自身での総括」は必要だと思います。日本人にそれができるかどうか疑問ですが。先日、参議院議員の山本太郎氏が天皇に私信を手渡して問題になりましたが、欧米の反応は、その行動が問題になること自体が問題だ、というものでした。つまり象徴とは名ばかりで、今もなお「神格化」された天皇を戴く日本への驚きと冷笑と警戒感だったのです。それが欧米諸国の素直な反応であり、そこでの民意は世界全体の公論に大きく反響していきますから、結局それが国際世論の大勢である、と言い切っても構わないと思います。


 

★その意味で、世界の人々から「日本(日本人)に対して潜在的に持っているであろう不信感」が私には良く理解できます。ましてや、近隣諸国は。それとも、これもまた《自虐的》でしょうか。

 ― 「自虐史観」とは右派のうちの強硬な人々の、暴力をにおわせた脅し的規定に過ぎません。彼らは彼らの見解が、世界から間違いなく総スカンを食らうであろうことを知らず、中韓だけが怒るに過ぎないと思い込んでいます。それは見通しが甘い。彼らが自虐史観と呼ぶものこそ、日本が世界に対して「正直」かつ「誠実」であるために最も必要な歴史認識の一つだと私は考えます。


以上 


忌憚の無いところを書かせていただきました。


最後にH・Yさんへのお願い、又は提案です。
お書きになったものを、私の記事への反論、として私がスペースをいただいております公のブログや私の個人ブログに転載させていただけないでしょうか。


お受けいただく条件として、

1.H・Yさんの実名と元NHK職員という肩書きを明らかにする。

あるいは

2.名前をH・Yのようにイニシャルにして元NHK職員という肩書きを明らかにする。


というような形はいかがでしょうか。

ネットには多くの与太記事が出回りますから、お名前と元NHKマンという肩書きがなければあまり信用度が高くならない可能性があります。


ご一考いだだければ幸甚です。


仲宗根雅則 拝


PS:私は下手くそなディレクターです。NHKにも散々お世話になってきました。


 

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このやり取りの後、H・Yさんは彼の反論をブログに転載することを承諾してくれました。