《書こうと思いつつ流れてしまった時事ネタは多い。そこで、いつものように、できれば将来どこかで言及したいという意味も込めて、自分にとって引っかかる出来事の幾つかを列記しておくことにした》

 

サッカー

 

いわずと知れたセリエA10人目の日本人選手、本田圭佑の可能性について。セリエAで実績といえるほどの活躍をした選手は、中田英寿、中村俊輔、森本貴幸、長友佑都の4人だ。パイオニアの三浦知良を含むその他の選手は何の実績も残さないままイタリアを去った。活躍した、また活躍中の四人の中で突出しているのは、中田英寿の存在だが、僕は本田圭佑はあるいは中田を越えるのではないか、越えてほしいと密かに期待している。

 

ベルルスコーニ


脱税で有罪判決を受けている彼は、刑務所に入る代わりに社会奉仕活動をするはずが、未だに大きな顔で自由を謳歌している。一体なぜ?理由はミラノ監視裁判所(il tribunale di sorveglianza di Milanoが時期と服役の形を決定するため(社会奉仕か自宅軟禁か)。また彼と似た罪状の者が列を作って裁判所の決定を待っているため、元首相の番が中々回ってこない。そこには多分、彼の刑の執行を遅らせようと暗躍する関係者の存在もあるのではないか、と僕は個人的には考えている。

 

バチカン


もしかするとフランチェスコ(フランシスコ)教皇は、偉大なヨハネ・パウロ2世をも越えるカトリック教会の金字塔的存在になるのではないか、という僕の期待と敬愛の根拠のあれこれ。僕はキリスト教徒ではないが、ローマ教皇には一方ならぬ関心と敬意を抱いて動向を見つめている。


現教皇はバチカンの改革に本気で取り組んでいて、保守反動のクーリア(バチカン内の官僚組織)が暗殺計画を練っているという物騒な噂さえある。

 

大ヨハネ・パウロ2世の力で前進した、世界12億人もの信者の心の拠り所であるバチカンは、ベネディクト16世時代に後退あるいは停滞し、いまフランチェスコ教皇によって再び希望の光を見出したように見える。そうであってほしい。


マフィア


現在のマフィアのトップはマッテオ・メッシーナ・デナーロと見られている。ほぼ20年に渡って逃亡潜伏している彼の行方と、服役中のトト・リイナが「マフィアの仕事はイタリア本土ではなく、シチリア島内のみで行なわれるべき」と発言した奇怪な動きの間には、何らかの関連性があるのかどうか。

 

数年前、シチリア島の中心都市パレルモで、メッシーナ・デナーロの顔を建物の壁に描いた落書きが出現して大きなニュースになった。マフィアの大物の逮捕前には、リーク情報のような話題が突然出現するケースが多い。壁の似顔絵はメッシーナ・デナーロの逮捕が近いことの現われかと見えたが、そのまま時間が過ぎて彼の行方は杳として知れない。刑務所の中のトト・リイナは、もしかして彼がどこにいるのか知っている?

 

イタリアから見る靖国参拝、名護市長選挙、イルカ漁など、など


安倍総理の靖国参拝とケネディ大使のイルカ漁ツイッターは、同じ穴のムジナ的行為。どちらも視野狭窄から来るKYアクションだ。安倍参拝は中韓にケンカをふっかけているようなもので、今回はなんと友好国のアメリカまで怒らせてしまった。まさにKYそのもの。一方、イルカの追い込み漁を糾弾したケネディ大使のツイッターも、一体なぜ今?という大きな疑問が残る。こちらも自らの価値観だけを絶対視した呆れたKY行為だ。

 

振興策と称して大金で票を買おうとした政府自民党に逆らって、普天間基地の辺野古移設にNOを突きつけた名護市民の意思は、金よりも貧しさの中の誇りを選んだ沖縄県民の総意と見るべきである。本土はもうこれ以上安全保障で沖縄にたかり続けることは許されない。基地問題の歪みの原因の一つは、日本国民のほとんどが「安全(保障)をただだと思っている」ところにある。世界から見たらそら怖ろしい幼稚性だ。ほとんど愚民に近い。

 

安全保障をただだと思っているから多くの国民が、沖縄にたかりつつ逆に島が本土に金をたかっている、と鉄面皮で下卑た非難をする。沖縄県民がもはや差別だとさえ口にする基地の過重負担と、それを見て見ぬ振りをする国民の存在は、日本国の品位を深く貶めている。日本国民はもうそろそろ偽善の仮面をかなぐり捨てて、沖縄の基地問題に真摯に向き合うべきである。なぜなら基地は安全保障の問題であり、安全保障は全ての国民の問題なのだから。