加筆再録


2014年5月現在、イタリアは依然としてギリシャ危機に始まる欧州財政危機に端を発した大不況のただ中にある。失業率は13%。15~24歳の若者の失業率にいたっては42%。この数字の実感は、周囲を見回したら若者のほとんどが無職、と言う風である。やりきれない現実がつづく。

その大不況の中で、イタリアのファッション産業は頑張っている。繊維・衣料品・皮革製品などのファッション産業は、機械、金属製品に次いでイタリア第3位の輸出力を持つ。具体的には年間9兆円弱を売り上げ、100万人以上の雇用を生み出している。

ところが、洒落者が多いここイタリアに於いてさえ、ファッション産業を見下す者は多く、若きレンツィ首相が地元フィレンツェ生まれのフェラガモなどに始まる有名ブランドを着たり、それらを重視・擁護する言動をすると「おしゃれにうつつを抜かしている」などとして批判する人々がいる。

それに対してはレンツィ首相は、不況の中での9兆円の売り上げと100万人雇用、という冷徹な数字を示して、ファッションビジネスはイタリアにとって重要な産業だ、と反論するのが常である。言うまでもなく彼の見解は至当だ。

世の中の、真面目で正しくてまともな大人、と見られるような人々はファッションを軽く見る傾向がある。彼らはきっと、皮ジャンを着て若者とテレビで討論をしたり、ブランド物の服や装飾をさりげなく身につけて、自転車で颯爽と街を行くような39歳の「軽い若い」首相が気に食わないのだ。

どちらかと言うと僕もそんな古い人間の1人になりつつある。が、同時にレンツィ首相の如くこの国のファッション産業にはいつも瞠目し賞賛する気持ちでもいる。それは産業としてのファッションの重みに敬服する意味もさることながら、イタリアファッションの中心地・ミラノに対する僕の特別の思い入れからも来ている。

周知のようにミラノは、ニューヨークやパリやロンドンなどと並ぶ世界のファッションの流行発信地である。ファッションの街ミラノを、僕は長い間テレビ屋として観察してきた。テレビの番組制作や報道取材やリサーチ・オーガナイズ等を通して、実際に街と付き合ったりもしてきた。

ミラノでファッションやデザインを取材する時にいつも感じるのは、なぜこの小さな街がロンドンやパリやニューヨークや東京などの巨大都市と対抗して、あるいはそれ以上の力強さで、世界をリードするデザインやファッションを発信して行けるのだろうか、ということである。 

ロンドンとパリは都市圏の人口がそれぞれ約1300万人と1200万人、ニューヨークは2000万人もいる。東京の都市圏の人口3700余万人には及ばな いにしても、巨大な都会であることに変わりはない。それらの大都市に対してミラノ市の人口はおよそ130万人、その周辺部を含めた都市圏でもわずか400 万人ほどに過ぎない。

もちろん人口数が全てではないが、人が多く寄ればそれだけ多くの才能が集まるのが普通だから、小さなミラノがファッションの世界で多くの巨大都市に負けない力を発揮しているのはやはり稀有のことである。

それは多分ミラノが、都市国家の伝統を持つ自治体として機能し、完結したひとつの小宇宙を作って独立国家にも匹敵する特性を持っているからではないか、と考えられる。つまり、ニューヨークやパリやロンドンが飽くまでも国家の中の一都市に過ぎないのに対して、ミラノは街そのものが一国なのである。都市と国が相 対するのだから、ミラノが世界の大都市と競合できたとしても何の不思議もないわけである。

ところで、秀れた才能に恵まれたミラノのファッションデザイナーたちが、新しい流行を求めて生み出す服のデザインは、まぎれもなく一級の芸術作品である。 しかしその芸術作品は、どんなに素晴らしい傑作であっても、たとえば絵画や小説や音楽のように長く人々に楽しまれることはない。言うまでもなくファッショ ンが、流行によって推移していく消費財だからである。

ファッションデザイナーたちは、一瞬だけ光芒を放つ秀れた作品(服)を作るために、絶え間なく努力をつづけていかなければならない。なにしろファッション ショーは、1年間に女物が2回、男物が2回の計4回行なわれる。彼らはその度に、日々の制作とは別に、多くの新しい作品を作り上げていかなければならない。アイデアをひねり 出すだけでも、大変な才能と精進が必要であることは火を見るよりも明らかである。

1994年、44歳の若さで亡くなった偉大なデザイナー・モスキーノが、かつてファッションショーで語ってくれた内容を僕は決して忘れることができない。

モスキーノは当時のミラノのファッション界では、アルマーニやフェレやベルサーチなどと並び称される大物デザイナーだった。同時に彼らとは一線を画す、カ ラフルで斬新で遊び心の強い作品を魔法のように次々に生み出すことで知られていた。彼のファッションショーも、作り出された服と同じでいつもハチャメチャ に明るく賑やかで、舞台劇を見るような楽しさにあふれていた。

ある日彼のショーを取材した後の雑談の中で、ファッションショーの度に次から次へとアイデアが出るのには感心する、というような月並みな賛辞を僕はモスキーノに言った。するとデザイナーが答えた。

「ファッションショーは一つ一つが生きのびるか死ぬかを賭けたテストなんだ。この間何かの雑誌で読んだけど、日本の大学の入学試験はものすごく厳しいらし いじゃないか。ファッションショーもそれと同じだよ。しかも僕らの入学試験は、仕事を続ける限り毎年毎年3ヶ月に1度づつ繰り返されていく。ときどき辛く て泣きそうになる・・・」

駆け出しのデザイナーならともかく、一流のデザイナーとして既に揺るぎない評価を得ているモスキーノが、一つ一つのファッションショーを生きのびるか否かのテストだと言ったのが僕にはすごく新鮮に聞こえた。

季節ごとに一新される各デザイナーの作品(コレクション)は、必ずファッションショーで発表される。そしてそのショーの成否は服の売り上げに如実に反映される。モスキーノはそのことを指して、ファッションショーを生きのびるか否かを賭けたテストだと言ったのである。

ファッションは創作と販売が分かち難くからみついている珍しい芸術分野である。従ってモスキーノが、ファッションショーを生死を賭けたテスト、と言ったのは極めて適切な表現だったと僕は思う。

ミラノには日夜髪を振り乱して創作にまい進する多くのモスキーノたちがいる。だからこそ小さな都市ミラノは、街そのものが内に秘めている都市国家としての心意気も相俟って、世界中の大都市に対抗して今日も堂々とファッションの世界をリードしていけるのだろう。