去った6月12日、W杯観戦記を毎日書いてやろう、とひそかに決意して臨んだが、準々決勝真っ盛りの6月終わりに思いつきでふいにチュニジア旅に出たりして、計画通りには行かなかった。
もっともチュニジア旅行がなくても、連日TV観戦記事を書くことはなかっただろう。スポーツ記者やスポーツライターではない僕が、試合結果などを細大漏らさずに毎日書いても、意味も無ければ面白くもない。
書くにはやはり自分だけの視点と考えがあるべきだが、来る日も来る日も独自のストーリーを書きまくるほどのアイデアや情報や思惟があるなら、矛盾するようだがそれこそスポーツ記者かライターにでもなっていたはずだ。
チュニジアでは、多くのバカンス客らと共にリゾートホテルの大スクリーンで試合を見た。しかし、PCを持って行かなかったこともあって、観戦記は書けなかった。いや、書かなかったというほうが正確である。書く気にならなかった。
W杯よりも、アラブの春を呼んだジャスミン革命の国・チュニジアを観察し、想いを馳せ、感じることに気が行き続けていた。それでもブラジル、ドイツ、オランダ、アルゼンチンの4強が出揃った準々決勝までの一部始終には強い感慨を覚えた。
準々決勝は割と退屈な試合が続いた。気になって調べてみると、全4試合のゴール数は5。これは2010年W杯準々決勝総得点数の半分だ。もちろんオランダVSコスタリカのPK戦得点は含まない。
退屈に映ったのは、ゴール数の少なさにも原因があるのは間違いが無い。
さらにその前、予選を勝ち上がったベスト16の勝ち抜き第1戦8試合では、ブラジルVSチリがPK戦の末ブラジル勝利。コスタリカVSギリシャがPK戦でコスタリカの勝ち。またドイツ、アルゼンチン、ベルギーの3チームが延長戦の末に準々決勝に進む形になった。
強豪チームが、PK戦や延長戦の末に「辛うじて」勝つことが多かったのは、点を取り合っての接戦ならばそれなりに面白いが、そうでない場合はチームに明確な戦略や作戦がないために無得点で終わったりするケースが多く、やはり退屈な試合になる。
ベスト16から準々決勝の展開を詳しく見てみると、もしも勝ち抜き第1戦でブラジルがPK戦でチリに敗れ、延長戦までもつれたドイツがアルジェリアに負け、また準々決勝のPK戦でオランダがコスタリカに苦杯をなめていた場合、準決勝にはチリ(コロンビア)、アルジェリア(フランス)、コスタリカ、アルゼンチンの4チームが残っていたことになる。
それはもちろん「たら」「れば」のゴタクに過ぎないが、力の差がある場合にはPK戦どころか延長戦もなく、通常の90分で勝負がつくのが普通だから、ほんの僅差で勝ち負けが決まったそれらのゲームは、もしかすると世界サッカーの実力地図に変化が起きていることを示唆しているのかもしれないのである。
僕はチュニジアのリゾートホテルの大スクリーンで準々決勝の4試合の全てを見た。見ながら、勝ち進んだ独蘭伯爾の4チームが勝ち進むことを願った。今のところ、それらの4強の方がそれぞれの対戦相手よりも実力があり、従って今後の優勝争いが面白くなる、と信じて疑わなかったからである。
その気持ちは、あと3時間ほどでブラジルとドイツが準決勝で激突する今この時になっても変わらない。2チームの代わりにもしもチリVSアルジェリアの準決勝になっていたら、興味は半減どころかほとんど無くなって、僕は今夜の試合は見る気にならなかったかもしれない。
僕の中ではそれほどに準決勝に残った4チームは強く、順当な展開に見える。
それでも、前述したように、4強に加えて世界サッカーの常連強豪チームに数えられるイタリア、スペイン、イングランド等とその他のチームの実力差は、じわじわと埋まっているのかも知れないのである。
僕はそのことに想いを馳せる時はいつも、そうであって欲しいような、欲しくないような、複雑な気分になる。
世界の頂点にいる欧州と南米の強豪チームはどれもが、サッカー大好き人間の僕にとってはそれほどに長い間、深く、強烈に、輝かしく魅惑的であり続けてきた。
今ふいに弱小チームが台頭して存在を主張しても、中々素直には喜べないのが正直なところだ。逆に言えば、世界の強豪チームに比較すると、残念ながら日本を始めとするアジア・アフリカ等のほとんどのチームに全く魅力がない。
僕はナショナリズムに基づく贔屓チームを持たない。日本やイタリアが勝てばもちろん嬉しいが、強い魅惑的なゲームをする者だけが僕が真に贔屓にするチームだ。そういう意味では僕は自らを純粋のサッカーファンと自負して止まない。
今日と明日の準決勝、そして決勝と、僕は胸が震えるような喜びを覚えつつTVの前に座り続ける・・