加筆再録



僕はイタリア・シチリア島にたくさんの友人がいて、ロケ撮影やリサーチなどの仕事のほかにプライベートでも良く島を訪ねる。シチリアにはドキュメンタリー にしたい題材が多いが、一番魅力的なテーマはなんと言ってもマフィアである。しかし僕がこれまでにシチリア島で取材したドキュメンタリーも、また今後ロケ をするチャン スをうかがっている作品も、今のところマフィアとは直接には関係がない。

それでいながら僕は、シチリアで何かの作品を制作することは、どこかで既にマフィアを描くことにつながっていると考えている。なぜならマフィアとはシチリア島そのものだからである。シチリアの島民の全てがマフィアと関わっているという意味ではもちろんない。

それどころか彼らは犯罪の被害者であり、誰よりも強くマフィアの撲滅を願っている人々である。しかし島民は、恐怖と誇りという2つの感情の鎖で心をがんじがらめに縛りつけられているために、結果としてマフィアに協力してしまう行動を取ることさえある。
 
マフィアにはオメルタ(沈黙)という鉄の掟がある。組織のことについては外部の人間には何もしゃべってはならない。裏切り者は本人はもちろんその家族や親 戚、果ては必要ならば友人知己まで抹殺してしまう、というすさまじいルールである。オメルタは長い間に村や町や地域を巻き込んで、最終的にはシチリア島全 体の掟になってしまった。

シチリアの人々はマフィアについては誰も本当のことをしゃべりたがらない。しゃべれば報復されるからだ。報復とは死である。人々を恐怖のどん底に落とし入れる方法で、マフィアはオメルタをシチリア島全体の掟にすることに成功した。
 
しかし、恐怖を与えるだけでは、マフィアはおそらくシチリアの社会にそれだけ深くオメルタの掟を植えつけて行くことはできなかった。シチリア島民が持って いる シチリア人としての強い誇りが、不幸なことにマフィアへの恐怖とうまく重なり合って、オメルタはいつの間にか抜き差しならない枷(かせ)となって人々にの しかかっていったのである。

シチリア人は独立志向の強いイタリアの各地方の住民の中でも、最も強く彼らのアイデンティティーを意識している人々である。四方を海に囲まれた島国の人間というのは共同体意識が強く、常に内と外を分けて考える性癖が身についている。

それは時代が進み近代化の波が押し寄せる過程で薄れていくものだが、シチリア島にはその波がゆっくりとした速度でしか寄せてこなかった。そのためにシチリア島には、イタリアの中でも前近代的な側面を最も強く持つ社会が今も残ることになった。
 
そうしたことに加えてシチリア島は、紀元前のギリシャ植民地時代以来、ローマ帝国、アラブ、ノルマン、フランス、スペイン、等と 次々に異国に征服されてきた。外の力に支配されつづけたシチリア人は、その反動でますます彼ら同志の結束を強め、かたくなになり、シチリアの血を意識して それが彼らの誇りになった。

シチリアの血を強烈に意識する彼らのその誇りは、犯罪のカタマリである秘密結社のマフィアでさえ受け入れてしまう。いや、むしろそれをかばって、称賛する心根まで育ててしまうことがある。なぜならば、マフィアもシチリアで生まれシチリアの地で育った、シチリアの一部だからである。

かくしてシチリア人はマフィアの報復を恐れて沈黙し、同時にシチリア人としての誇りからマフィアに連帯意識を感じて沈黙するという、巨大な落とし穴にはまってしまった。

1861年にイタリアは統一された。 この出来事は異民族の支配下にあったシチリアの立場を良くするどころか、むしろ人々の疎外感を強める結果になった。統一はイタリア北部の主導で成されて、 北部の発展だけに寄与する体制だとシチリア人は感じたのである。事実統一後のイタリア国家は、現在でも北部と南部の経済格差が激しい国情である。

シチリアの島民は、統一が異民族の支配からの脱却などではなく、新たな異民族つまりイタリア北部人によるシチリア島の征服である、とはっきりと悟った。以 来彼らはシチリアの一部であるマフィアに対する連帯意識をさらに強めて、北部がローマを隠れみのにくり出してくるマフィア撲滅を目的にした国家権力、つま り警察には一切協力しない方向に傾いていった。

シチリアの人々はマフィアについては誰も本当のことを語らない。従って警察もなかなかマフィアのシッポをつかむことができない。マフィアの構成員と考えら れる犯罪者を捕らえても、目撃者や被害者をはじめとする周囲の人々が沈黙を守るために、決定的な証拠が不足してしまうのである。

マフィアを一掃できないのは、イタリアの官憲がだらしないからだと良く聞く。それにも一面の真実がある。しかし、シチリア島のおよそ500万人の住民が官憲に対して敵意に近い感情を持ち、結果としてマフィアをかばう図式があることも、また事実なのである。

そうした現実は、イタリア人を含むシチリア島以外の世界中の人々が、島や島人をマフィアそのものと見なしてしまう態度になって彼らにはね返り、シチリアの 人々をさらにかたくなにしていく。かたくなになって、彼らはマフィアに関してはなお一層口をつぐんでしまい、マフィアはいよいよそれに助けられる、という 悪循環にあえいでいるのがシチリア島の状況である。

マフィアはシチリア島の現実だが、島民を含む世界中の人々の恐怖心と嫌悪と怒りによって拡大解釈され、とめどもなく膨れあがって、ついには制御のきかなくなったいわば亡霊のような側面がある。

僕は冒頭で、マフィアとはシチリア島そのものである、と言った。それはシチリアの置かれた特殊な環境と歴史と、それによって規定されゆがめられて行ったシチ リアの人々の心のあり方を象徴的に言ったものである。シチリアの人々を何かにつけてマフィアそのもののように見なす風潮には、僕は加担しない。
 
もう一度冒頭の自分の言葉にこだわって言えば、マフィアとはシチリア島そのものであるが、シチリア島やシチリアの人々は断じてマフィアそのものではない。 島民が全てマフィアの構成員でもあるかのように考えるのは、シチリア島にはマフィアは存在しない、と主張するのと同じくらいにバカ気たことである。