言うまでもないことだが、映画「ゴッドファーザー」でマーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノなどが演じた、躍動するマフィアの男たちの姿は劇中のみの夢物語である。いや、多くの犯罪行為は現実のマフィアのそれにも重なるが、イメージとしての人物群像は映画のように格好の良いものではない。
たとえば今言った映画の登場人物3人の顔に、収監中のマファの大ボス、トト・リイナ、ベルナルド・プロヴェンツァーノ、ジョヴァンニ・ブルスカ等の、洗練とは程遠い横柄不遜な悪相を重ねて見るだけでも語るには十分だろう。銀幕上の颯爽たる役者とは似ても似つかないのがマフィアの男たちである。
シチリア・マフィアの起源についてはいろいろな説があるが、元々はシチリア島西部に起こった、支配者フランスへの抵抗組織だったという説が有力である。というよりも、シチリア島の多くの人々がそう信じたがっているように見受けられる。
その説に従えば、MAFIAという名も「Morte Alla Francese Insurrezione Armata」(フランス人に死を。武器を持って立ち上がれ。)の頭文字を取ったものだということになる。意味は通じるのである。
また同じような解釈で「Morte Alla Francese Indipendenza Autonomia」(フランス人に死を。そして独立と自治を。)、あるいは「Morte Alla Francia! Italia Anela!(フランスに死を。これはイタリアの叫びだ。)」の略語という説もある。
こうした解釈は、マフィアに少なからぬ連帯感を持っている人々のこじつけのような気が僕はする。第二次大戦時のナチスやファシストに対するフランス及びイタリアのレジスタンス運動に似せて、マフィアを「シチリアの民衆の味方」として位置づけようとする作意が感じられるのである。
しかしマフィアの持つおどろおどろしいイメージや実態には、むしろ次の2つの説のほうが良く似合う。
1つは、大昔シチリア島のパレルモ地方を支配していたアラブの種族「 Ma Afir(マ・アフィル)」から来ているという説。 またもう1つは、フランス兵に娘を殺された母親がシチリア方言で「Ma Figlia! Ma Figlia ! 」(娘よ、娘よ)と泣き叫びつづけたことから来るという説である。 Ma Figliaはシチリア訛りの発音では「マフィア」とほとんど区別がつかない。
西洋人がアラブ人に抱く不気味なイメージ、そして哀れなシチリアの農婦が娘の亡骸を掻き抱いて号泣する図。そうした不可解な感じ、悲哀、土着的なもの、古代の粘着感・・・のようなものがマフィアの本質であって、決してレジスタンス運動のような英雄的な、しかもある意味で近代的な思想や行動様式を持つ男たちの集合体ではなかったと僕は思う。
いずれにしても、それらの説には1つだけ重大な共通点がある。つまりどの説も支配され、蹂躙されつづけたシチリアの人々の悲劇や怨念や復讐心や詠嘆を背景にしてマフィアが生まれた、と主張している点である。
シチリア島は紀元前のギリシャ殖民地時代以来、間断なく島外の大きな力の支配を受け続けてきた。国(島)を乗っ取られて迫害を受けたと感じたシチリアの人々は、彼らだけで団結し、団結の要としてマフィアという秘密結社が形成されて人々を保護した、という訳である。その主張は恐らく正しい。
とはいうもののマフィアはそれと同時に、シチリア島の中で支配者とは関係なく存在してきたシチリア社会だけの必要悪でもあった。それはたとえば日本の片田舎で、発展する都会の富に浴さないと感じた人々が、土地の山を切り開いてリゾート施設を作ったり、道路を作ってくれたりする地元の建設業者にぴたりと寄り添う心理と極めて似通っている。
マフィアは殺人や麻薬密売やテロに手を染める犯罪シンジケートであると同時に、土地開発やハコ物行政やインフラ整備に関わるあらゆる公共事業等の利権を握っているシチリアの有力者、あるいは権力者とも呼べる存在である。その構図は表向きは秘匿されている。だからこそのマフィアなのである。
マフィアは建設会社を経営し、建設会社を通して村人を支配し、村人の票を一手に握って地域の政治家を支配し、その単純な構図をさらに拡大してイタリアの国政にまで入り込んでいる。シチリア島は、基本的に土建業者であるマフィアに生活の糧を握られている巨大な村社会でもあるのだ。
土建業者であるマフィアは、そこで儲けた金を元手にあらゆる事業に進出して、ますます強くなった。強くなるためには殺人を犯し恐喝を実践し無差別殺戮の爆弾テロにまで手を染める。事業は密貿易、売春、麻薬密売とどんどんエスカレートして、巨大犯罪組織としての側面がふくらんでいく。
しかしながらその巨大犯罪組織は、それぞれの土地の構成員をうまく使い隠れ蓑にして、貧しい村や町の人々の生活に密接に関わっている土地の土建業者、あるいは強持ての有力者、という基本的な立場は少しも変わることなく保ちつづけている。
もっと言えば、シチリアの人々の生活を助けてくれるのは、ローマの政治家に代表される大陸(シチリア人はイタリア本土を良くそういう風に呼ぶ)の力ではなく、その土地土地のマフィアの男たちなのだ、と人々に思いこませるだけの力を保持している。そこがシチリアにおけるマフィアの強さであり、マフィアとはシチリア島そのものだと僕が感じるゆえんである。
シチリアのマフィアはシチリアの人々のメンタリティーが変わらない限り根絶することはできない。同時にマフィアが征服されない限りシチリア島の人々のメンタリティーは変わらない。マフィアはそれほど深く広くシチリア社会の中に根を張っている。
しかしシチリア島民の名誉のために付け加えておけば、そうした癒着の構図は、内容や構成要因その他に様々の違いはあるものの、イタリア本土にもまた欧州にも、さらには日本を含む世界各国にも存在する普遍悪であって、決してシチリア島の専売特許ではない。