安倍晋三総理大臣

遅ればせながら、総選挙での大勝また長期政権への展望、まことにおめでとうございます。

長期政権への疑念

あらかじめ申し上げておきます。残念ながら私は安倍政権を支持する者ではありません。あなたが推し進めているアベノミクスは長い目で見た場合は方向性が間違っていると以前から思っていますし、歴史認識や安全保障を巡る政策にも違和感を覚えています。私はわが国の政治の安寧と発展を願いながらも、安倍政権の長期化には懸念を抱いている者です。

しかし、だからと言って、私は冒頭の賛辞を皮肉や揶揄で口にしたのではありません。突然解散を行ったあなたの政治屋(政治家ではありません)としての鋭い嗅覚とセンスと、低い投票率(投票に行かなかった国民は国民自身の咎なのであって、決してあなたの責任ではありません)とはいえ、国民の圧倒的な支持を得た事実に心から敬意を表し賞賛を申し上げています。

私は日本で大学を終えた直後に学業で英国に渡り、その後メディア関連の仕事で米国とイタリアに移り住みました。現在はここイタリアで、人々の日本意識と日々向き合い、同時にBBC、Al Jazeeraなどの英語圏の衛星放送やインターネット等を介して、グローバル世界の日本意識とも相対しています。同じ手法で日本の情報にも密に接しているのは言うまでもありません。

長い外国生活の全ての過程で、私は故国を眺めては時には批判をし、懐かしがり、誇りに思い、悲しみ、喜んだり呆れたりしながら生きてきました。ここでは私のそうした経験から見た安倍さんの「グローバル世界におけるイメージ」について考えてみようと思います。

イメージとは、火のないところに立つ煙のようなものです。つまり事実や、真実や、事象の形が曖昧なのに、煙の鮮明だけが目立つでき事です。従ってそれは虚偽やまやかしである場合が多々あります。しかし、また、火のないところに煙は立たない、とも言います。煙の向こう側には煙を出すだけの何かがあることもまた確実です。それは検証に値する現象なのです。

国際世論の見方

もはや言い古されたことかもしれませんが、あなたは国際社会から潜在的に危険な極右に近いナショナリストと見なされています。また同時に、現在の日本のタカ派の主要な関心事に鑑みて、歴史修正主義者とも規定されます。そうした見方は、私自身の見解ともぴたりと一致するものですが、私は同時にあなたは柔軟なプラグマティストであり、その意味では優れた政治家ではないかとも考えています。

あなたはかつて慰安婦にかかわる河野談話や村山談話の見直しを声高に主張していました。それは当然韓国や中国の反発を招くものでした。が、あなたは意に介しませんでした。あなたがそれを言わなくなったのは、欧米、特にアメリカ世論の反発があったからです。恐らくそれを不快と見なす米国政府からの圧力もあったのではないか、と私は見当をつけています。

それでもあなたは、もう一つの歴史認識の争点である靖国神社参拝を決行しました。アメリカはその前に、千鳥ケ淵戦没者墓苑が彼らが認める参拝所である、とさり気なくあなたにシグナルを送ったのですが、あなたは気づかなかったのか、あるいは確信犯的思い入れからなのか、あえて靖国神社を参拝したのでした。それは周知のように中韓は言うまでもなくアメリカをも怒らせてしまいました。

その後、あなたは何事もなかったかのように経済政策アベノミクスに集中する傍ら外遊を重ね、秘密保護法や集団的自衛権など、議論百出する事案を数を頼りに楽々と思い通りの方向に決めていきました。また沖縄の普天間基地移転問題では、地元の民意を無視する形で県知事を懐柔して、移転へ向けての布石を打ちました。全く見事な手腕だと思います。これらの論点についても私は大いに異議を持つ者ですが、長くなるので議論は別の機会に譲ります。

過去の言動や直近のそれに照らし合わせて、前述したように国際社会はあなたを姑息な国粋主義者、歴史修正主義者と規定し常に監視しています。あなたは建前と本音を使い分ける日本の文化や、熱し易く冷め易い国民の意識に助けられて、まるで以前の言動がなかったのでもあるかのように振る舞っていますが、敏感で疑り深く且つ執拗な国際世論は、あなたの正体を見抜いていて監視・追求の手を少しも緩めてはいません。

日本極右は中韓の味方

あなたに対する疑念は、あなたとあなたの周りの民族主義者らの願いとは全く裏腹に、特に中国と習近平国家主席に資しています。一党独裁国家、人権無視の野蛮国、覇権主義国家、そこに君臨する共産主義の巨魁・習近平等々のネガティブなイメージは、中国と対立する日本、という構図で語られる時には、以前とは違って「戦争被害国の中国」という印象が強調されて、同情さえ買う構図になってしまっています。

それは偏えにあなたの極右的言動と歴史修正主義者というイメージによって、相対的に中国の暗部が薄められたものです。直近の例をあげれば、APECであなたが習近平さんと握手を交わし、無視されて公衆の面前で恥をかいた時、私の知る限りの多くの知識人は、習さんの子供染みた態度はあなたの言動への反発、従って身から出た錆、という風な捉え方をしました。国際世論は中国と習主席の動きにも敏感でよく眉をひそめますが、昨今はあなたに対しての「眉のひそめ度」がはるかに大きいために、結果、中国の悪が見えにくくなるという事態が起こっているのです。

あなたとあなたの周囲の民族主義者らは、靖国参拝を正当化するとき「国の為に死んだ方々の御霊を慰めるのは日本人として当たり前のことだ。他国にとやかく 言われる筋合いはない」と実にもっともな反論をします。戦争で国の為に倒れた人々の霊を敬うのは、口に出して言うことさえばかばかしいほど、当たり前のこ とです。その考えは真っ当なものです。世界基準の心の在り方、と言っても差し支えないでしょう。もちろんその心は、あなたの靖国参拝に猛烈に反発している中韓でさえ同じです。

周知のように中韓は参拝そのものに噛み付いているのではなく、彼らに酷い不利益をもたらした軍国主義日本の象徴である「戦犯も祀られている靖国神社」参拝に反発しているだけです。そこで、ならば合祀を無くして分祀を、とか、新施設を建てるべき、云々の古くて常に新しい議論もここでは後回しにして、あなたが敢えてそこに参拝することの是非について意見を述べます。

御霊を崇め礼を尽くすのは前述したように人として当たり前のことです。また日本人の心情として、例え悪人でも死して仏になってしまえばこれを貶めない。従って戦犯とされる人々の霊も尊崇されて然るべき、という考え方にも一理ありま す。しかし残念ながら、戦犯と呼ばれる人々は軍国主義日本の代表であり象徴として規定されています。戦後世界は、日本やドイツを始めとする敗戦国とその他の国々との間に、そうした決め事を作成し合意することによって、憎しみと混乱と怨みを安らげて前進しよう、と誓い合い、実際に前進してきました。

日本のイメージを貶める行為

あなたは靖国参拝によって、買わなくても良い中韓の怒りを買い、アメリカを苛立たせ、国際社会に疑念を抱かせました。その行為はあなたの周りにいる極右やネトウヨの人々が、例えば私のような国際派の愛国者(私は自分をそう規定しています)を指して、国賊、反日、売国奴などと蛮声を挙げる、まさにそれらの形容詞そのものの通りの行動でした。あなたがやったことは、グローバルな視点では、日本の国益にとっては徹頭徹尾ネガティブな行為だったのです。

あなたが政権に就いて以来、日本の政治的なイメージや評判は悪化しています。この辺りの空気が、日本国内に住んで昨今の「右傾化した」熱い世論にまみれていると、国民の多くにとっても 中々見えにくい事態だと思います。鏡に顔を近づけ過ぎると自分の顔の輪郭がぼやけて見えにくくなります。国内にいると日本の世論の実際がぼやけ、しかもそれが全て正しいような錯覚に陥ります。なにしろ自分の顔さえ良く見えないのですから、グローバル世界の目線など見えるはずもありません。

かつて驕りと欲と無知から、進むべき道を間違えて侵略戦争に突入し、多くの犠牲を払って破滅した日本は、過去70年間、先の大戦の非道な行為を世界から責められ、また自らも責め立ててこれを反省し、ひたすら平和主義と友愛を信条に国を立て直してきました。戦後の瓦礫の中から立ち上がった日本は、一心に働き続けてついには経済大国にまでなりました。国際社会は日本の多大な努力と、国民の誠実で真摯な行動と高い民意を大いに賛辞するまでになったのでした。

日本に対する国際世論のあくまでもポジティブな意見は3年前、東日本大震災という巨大な不幸と引き換えに最高潮に達しました。即ち、東日本大震災における 被災者の方々の崇高な行動と、それを支えようとする日本国民の真摯な姿が世界中を感動の渦に巻き込んだのです。大災害を蒙りながらの苦しいパラドックスで はありますが、あの時ほど日本が世界で輝いた瞬間はありません。

ところがそうしたイメージは、あなたの愚かな行動によって崩壊しました。あなたは自らの政治的信条と国内で高まる民族主義のうねりに力を得て、自身の満足と、また人々の中韓への反発心を安んじるために靖国神社に参拝しました。その行為は、前述した通り、特に慰安婦問題に対するあなたの見解と相まって、中韓米のみならず国際世論をも困惑させました。中韓やアメリカだけが文句を言っているのでは決してない。親日国を含む国際社会の意見の大半は、あなたに風当たりの強いものであることをぜひ理解して下さい。

怒りにはひたすら真心と誠実で応えるのみ

あなたとあなたに近い国粋主義者は、日本の外の事象に対して鈍感で想像力を欠く傾向があります。そのため他人の立場を理解せず、理解しようと努力することもなく、また理解もできない。中韓の怒りが理解できないという人々のために次のリンク先を貼付します。
 http://news.livedoor.com/article/detail/7924365/

記事にある「日本の軍国主義や右翼勢力が消滅しない限り、被害国の人々の反日感情はなくならない~米国やロシアは日本に徹底的に報復したから、今は平穏な 気持ちで日本と付き合える。だが、中国人は何も報復していない」 という文章の最後は、「中国人も韓国人も朝鮮人も何も報復していない」と書き変えることもできます。北朝鮮による日本人拉致は報復ではないか、という意見 もあるかも知れませんが、ここでいう報復とは、軍隊による日本全国民への報復、という意味だと考えられますから規模や恨みの深さが桁違いに違います。

ほんの少しの想像力があれば、彼らの心情は立ち所に理解できます。しかし、隣国の人々の報復感情を怖れる必要は全くありません。われわれは軍国主義日本が 彼らに与えた被害を見つめて反省し、誠意を持って彼らに対していけば良いだけの話です。彼らの怒りは加害者であるわれわれ日本人の行動によってのみ収まりがつきます。

日本はこれまで同様、今後も自らの過ちを見つめ続けて謝罪するべきところは謝罪をし、中韓及び北朝鮮を始めとするアジアの国々を密かに、或いは公然と蔑視する愚にもつかない思い上がりを捨てて、隣人として、対等な国としてまた人として、誠実にまっすぐに付き合っていくべきです。そうすれば必ず彼らの傷は癒され憎しみは消えます。それは彼らが努力をするべきことではない。少なくともわれわれが彼らに「皆さんも過去を忘れる努力をしろ」と言ってはならない。われわれ日本人が努力するべきことなのです。

自虐史観だ、もう何度も謝った、謝ればまた金を要求される、反日、売国奴、などなど・・聞き飽きた罵声が聞こえてくるようです。それらは想像力を持たない者の野蛮な咆哮です。自らを貶めるという意味の自虐史観とは、実は逆に、そうした蛮声を挙げる人々が主張する歴史認識にほかなりません。なぜなら彼らは国粋主義的見解に基づいて歴史修正を試みますが、そうすることによって国際社会から糾弾される。それこそが自虐行為であり自虐史観以外の何ものでもないのです。

歴史を学ぶのではなく「歴史から学ぶ」べき

繰り返しになりますがあなたは以前、河野、村山談話への異議を表明し、これまた中韓だけに目が行く視野狭窄から従軍慰安婦問題では狭義の強制性はなかった、というKYな主張をして世界の顰蹙を買いました。よく言われることですが、信用を勝ち取るまでには途方もない努力と時間がかかり、それを失うのは一瞬 です。あなたはあの主張を表明したことで、自らの信用を一気に失墜させると同時に、世界の多くの人々の心中に日本国への疑惑を芽生えさせました。

世界は軍の強制性云々などには微塵も興味がありません。世界が関心を持っているのは、女性の人権と戦争犯罪です。国際世論は「慰安婦は戦時中に実際に存在していた。それは悪であり恥ずべき過去である」ということを確認したいだけなのです。従って、当時はそれが当たり前だった、だから今の感覚で非難するのはおかしい、などという主張は国際社会では決して受け入れられません。なぜなら国際世論が問題にしているのは、まさにその「今の感覚で見た慰安婦」なのですから。

もう一つ例を挙げれば、日本が中国を侵略し韓国を併合したのは、当時の世相や考え方では普通のことだった。欧米列強も同じことをしていた、などと主張してはならないのです。なぜならそれは「今の感覚」では悪だからです。人間は間違いを起こします。大事なことはその間違いに気づき、二度と同じ間違いを起こさないことです。学習したかどうかが論点なのです。

学習すれば反省に至り、再び同じ過ちを繰り返すまいという決意と行動が生まれます。歴史を学ぶとはそういうことです。歴史事実を調べ確認して満足しているだけでは意味がない。それは無味乾燥な学者的行動様式です。歴史の事実を調べて検証し、それが「今の感覚」ではどうなるのか、という視点まで論を進めることにこそ意味があります。それが真に歴史を学ぶことです。言葉を替えれば「歴史を学ぶ」のではなく、「歴史から学ぶ」ことが重要なのです。

引き籠りの暴力愛好家とは手を切れ


そういう意味では、例えばあなたの心情的な仲間である石原慎太郎さんなどは少しも学習していない。彼と彼の同類の人々は、世界から目をそむけたまま日本という一軒家に閉じこもって、壁に向かって怨嗟を叫んでいる者たちです。私は彼らを「引き籠りの暴力愛好家」と規定しています。そして私が極めて残念に思う のは、あなたが彼らと親和的な思想信条を持っていることです。あなたは一国の首相だけに少しは自制していますが、あなたの本性は石原さんと同じか又は極めて近いものに見える。

その石原さんは政界を引退すると表明し、先の選挙では、極右以外の何ものでもない頼母神氏を始めとする「次世代」の党の皆さんが、きっちりと有権者のノーの審判を受けました。彼らには極右やネトウヨなどの支持があっただけで、保守層の共感は無かったことが明白になったと思います。これは右傾化が進む日本の風潮の中にあって、極めて明るい出来事であると私は考えます。

あなたには国際世論を敏感に嗅ぎ取る能力があるようです。国粋主義的な言動を試みて、それが批判されるや否や、さっさと引っ込める事実がそのことを如実に示しています。それは日和見主義や右顧左眄の策士と同じである危険があります。が、同時に自らの思い込みを見直して正しい道を歩もうとする「形」も意味します。すぐにそうはならなくても、その振りを続けるうちに真実になる、ということは人の世では良くある話です。或いは嘘もつき続ければ本当になる、とも表現できます。

安倍さん、いかがでしょうか。長期政権への展望も開けたことですし、この際「引き籠りの暴力愛好家」らとはきっぱりと縁を切っ て、ナショナリストではなく『保守主義者』として日本の舵取りをしてはいただけないでしょうか。

保守がいて革新が同じ力で相対していれば、極右主義者や極左思想の持ち主が台頭して国際社会の顰蹙を買う事態は必ず避けられます。私はあなたの政権は支持しませんが、中韓にも絶えず対話をしようと呼びかけ(対話が途切れているのはあなたの極右的言動が元々の原因ではありますが)、経済を立て直して自信を喪失している日本国を甦らせよう、と懸命に政策を実行している姿には大いに共感します。この際ですから日本の過去の過ちと国際社会の実態にしっかりと目を据えていただいて、自らの言動に責任を持つ右顧左眄のない『真正保守』として、堂々と主張をされ行動されることを切に願います。

                                敬具

PS:まだ申し上げたいことがありますが、長い文章がさらに長くなってしまいますので割愛して、また別の機会にお便りを差し上げられれば、と思います。