仏デモ引き見出し込み


写真はフランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」本社 襲撃事件と一連のテロに抗議して、パリで行われた大規模デモの模様を伝える、イタリアきっての高級紙「コリエレ・デッラ・セーラ」の一面である。

この写真と全く同じ絵や映像が、デモ当日の1月11日午後以降、世界中を駆け巡った。WEBなどにはより鮮明な写真が幾らでも載っているが、あえて新聞を接写した。

デモの模様は、イタリアのみならず欧州の大半のメディアで一面トップで大々的に報じられ、その映像はインターネットに親しむ者を含む多くの人々の脳裡に深々と浸透した。

それは繰り返し報道され、15日現在もそこかしこで掲載、放映されている。2015年1月11日は、テロが起きたその4日前の1月7日とともに、欧州をそして世界を揺るがした日として記憶され続けるだろう。

フランス全土では史上最大の370万人、パリだけでも推計200万人近くが参加したとされるデモには、世界約60の国や地域の代表も加わって行進した。

主催者のオランド仏大統領に賛同した主な顔ぶれは、英キャメロン首相、メルケル独首相、スペインのラホイ首相、イタリアのレンツィ首相等の欧州首脳。またイスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ暫定自治政府のアッバス議長も顔をそろえた。

そこに安倍首相の姿が見えないのが僕はとても残念である。もしも参加していたならば、安倍首相はきっとデモ最前列の中央、オランド大統領の近くに陣取るように要請されて、堂々と行進をしていただろう。

なぜならば、遠い極東の、重要国のトップである安倍首相の参加は、反テロで世界が結束する姿をさらに鮮明にするものであり、宣伝効果も絶大だからだ。

事件そのものや背景に関しては、新聞の宗教風刺画の是非をはじめ多くの論点があり、僕自身もまた意見を言うつもりでいる。

ここでは、反テロを強くアピールしたこの大舞台に、安倍首相が参加しなかったことの意味だけを少し考えてみたい。

安倍首相には誰よりも先にこのデモに参加してほしかった。いや日本国のイメージと首相自身のそれのためにも彼はぜひとも参加するべきだった。

そうすることによって彼は、極右に近いナショナリストや歴史修正主義者などと規定されて、国際社会から疑惑の目で見られている立場をあるいは改善させ得たかもしれない。

そうした非難がすぐに消えることはなくても、暴力と殺戮を指弾する国際社会への連帯を示した、としてポジティブな大きな評価を得たであろうことは疑いがない。

昨今の日本国自体の「政治的」立場は、国のトップの悪評によって日々脆弱化している。デモへの首相の顔出しは、ネガティブな今の状況にも資するものがあったはずだ。その意味では本当に残念なことだった。

僕は今回のデモの様子を幾つもの国際衛星放送やWEBで繰り返し見ながら(見せられながら)、2005年のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀の際に露呈した、日本政府の世界感覚からズレた言動をまた思い出してしまった。

歴史に大きな足跡を残したヨハネ・パウロ2世のローマでの葬儀には、欧州を始めとする世界各国の若者や信者が500万人も押し寄せた。

また極めて多くの国々の首脳や元首が馳せ参じたことも、強く記憶に残っている。参列国のリストを見ると、トップや元首を送り込んでいない国や地域を探すのが難しいくらいの壮大な式典だった。

当時小泉純一郎氏が首班だった日本政府は、教皇の葬儀が外交的にいかに重大な舞台であるかを微塵も理解しなかった。

首相あるいは皇室の誰かが出席してもおかしくない場面で、日本は外務副大臣を送ってお茶を濁し、世界の笑いものになった。が、当時の日本政府には世界に嘲笑されているという意識さえなかったのである。

安倍首相は「地球儀を俯瞰する外交」 を唱え、積極的平和主義を標榜して、就任から2年足らずの間に約50ヶ国もの国を訪問してきた。それと平行してテロとの戦いへの協力もしばしば明言してきた。

それでいながら、多くの国の首脳が一堂に会したパリでのデモ行進に不参加というのでは、反テロを表明する彼の真意がどこにあるのか、と疑われても仕方がないのではないか。

肝心な時に国内に留まって 、世界の誰の心にもほとんど届かない事件の犠牲者に対する哀悼や犯行非難声明を発するだけでは、歴史認識問題等で国際世論との大きなズレを指摘されて窮地に立たされている、安倍首相自身の評判を回復する手段の一つとしてはいかにも弱いといわざるを得ない。