50%父子引きチュニジア香炉引き50%

北イタリアのスーパーの一角でアラブ産陶器を売るチュニジア人父子


仏テロの次は日本人人質事件、と年明け早々展開の速い事件が続いている。筆の遅い僕はそれらについて書こうと思いながら時間が過ぎ、昨日はとうとうイスラム国に拘束されていた日本人の1人湯川遥菜さんが殺害されたとするニュースが世界中を駆け巡った。

イスラム過激派の蛮行が続いて、ここ欧州では無辜(むこ)なイスラム教徒や同移民への反感や偏見が増長している。過激派を糾弾することが一般のイスラム教 徒への憎しみにつながってはならない。しかし、イスラム教徒への同情が過激派への援護になるような事態もまた避けなければならない。

昨今は混乱の中で、あってはならないことが同時にあるいは次々に起こっている。いずれの主張や立場や言動にも一理があり且つ間違いがある、というのが真実 である。僕自身は基本的に揺らがないスタンスを持っている。つまり「表現の自由」とは過激なことも差別的なことも含めて何でも表現することを良しと する、ということである。

それはある種の人々には決して受け入れられない考え方である。信じる者にとっては絶対である神以外は、あらゆる事象は2面性を持っている。が、実は神そのものも2面性の矛盾からは逃れられない。なぜなら神を信じない者にとっては、それは絶対どころか存在さえしないものだから。

今世界を揺るがしている表現の自由や宗教風刺画やテロといった深刻な事案の特徴は、極めて折り合いのつけにくい2面性の共在だ。どこを切り取って見ても、あちらを立てればこちらが立たず、という状況になって妥協が難しい。

それでも妥協点を探りつづけ、折り合いの付け所を見つけようと努力するのが文明社会の鉄則だ。しかし、こと「表現の自由」に関する限りは、僕はあえて譲歩をすることなく、2面性のあちらとこちらに立つ者がお互いの主張を永遠に言い合い、同時に「言い合うことを認め合う」間柄でいれば良いのではないか、とも思う。

芸術表現においては、それは自明のことである。問題は政治的な観点での表現の自由だ。そこでは表現者を銃剣で殴殺する「ヒョウゲン」もあると考える、権力者を含むテロリストへの怖れから、表現の制限が言われる。つまり表現の自由がそこで死ぬ。

僕はあらゆるものの持つ2面性を認める。つまりそれは僕に真っ向から反対する人々の主張も尊重するということだ。本気でその態度を貫けば、表現を暴力で圧殺することはあり得ない。

もちろん言葉の暴力や風刺画の暴力など、表現にまつわる「不快」は常につきまとう。だがその「不快」は生きている限り、つまり銃剣によって抹殺されない限り、必ずどこかで解消可能なものだ。それこそ表現によって。

僕はそのことについて既にブログに書き出していて、この先もしばらくはそのテーマで記事を書いていくつもりだが、ここでは昨年末から書きそびれていることを急いで書いておくことにした。実はそれも「表現の自由あるいは不自由」に関する連続テーマの一環だ。

2014年12月21日、ジャスミン革命の地、チュニジアで大統領決戦投票が行われた。決選投票の約一ヶ月前に行われた大統領選には、27人が立候補し過半数を獲得した候補は出なかった。

そこで1位と2位に入ったカイドセブシ氏(87)と、人権活動家の暫定大統領マルキーズ氏(69)の間で決戦投票が行われ、前者が勝利した。

冒頭の写真は大統領選の直後、僕の住む北イタリアの村のスーパーの一角(市場)で、チュニジア製の陶器を売る同国出身の父子、モウラド(Mourad44)とシェディ(Chedy17)である。

父親のモウラドは、大統領選でカイドセブシ氏が勝ったことをとても喜んでいた。理由はカイドセブシ氏の方がよりCattivo(カッティーヴォ)だからだという。

Cattivoとはイタリア語で嫌な奴とか悪い奴とかを意味する。カイドセブシ氏を支持すると言いながら矛盾するような表現だが、モウラドは実はその言葉を「強い人格」という意味で使ったのである。

つまり2011年のジャスミン革命の後、政治経済ともに低迷・混乱している彼の母国チュニジアには、強いリーダー「Cattivoな政治家」が必要で、カイドセブシ氏こそ適任だという訳である。

モウラド一家は、イスラム過激派とは何の関係もない、それどころか無法なテロ組織を憎む、普通のイスラム教徒である。イタリアを含む欧州には、モウラド一家と同じ多くの罪の無いイスラム教徒が住んでいる。

モウラドと彼の家族の場合には、混乱が続くアラブ諸国の中で比較的民主化が進んだチュニジアからの移民、というのが少し毛並みが違う。チュニジアはアラブ世界の民主化のロールモデルになり得る可能性を依然として秘めている。

父子は母国で民主的な選挙が行われたことを喜び、勝利したカイドセブシ氏がうまく国をまとめてチュニジアに真の民主主義を根付かせてほしい、と熱心に話していた。

新大統領のカイドセブシ氏は87歳と高齢だが、彼が党首を務めるニダチュニス党は先に行われた議会選挙でも勝利を収めて、いよいよチュニジアの本格的な民主化へ向けて動き出すと期待されている。

チュニジアは憲法で大統領の権限を国防と外交に限定し、内政を首相に一任する形を取っている。権力が一箇所に集中して独裁性が高まることを阻止するためである。長い独裁政権の下で苦労した経験からの知恵である。

しかし、カイドセブシ氏のニダチュニス党は昨年10月の議会選挙でも勝利していて、首相と大統領の両ポストを握ることになるため、独裁化を危惧する声も上がっている。

仏テロから邦人人質事件など、イスラム過激派の動きが世界を震撼させる中、アラブ諸国内での過激派への対抗勢力としてもっとも期待されるのが、民主主義や民主国家の誕生である。

その先頭を行くのがチュニジアだ。アラブの春の動乱に見舞われている国々の中では、チュニジアの民主化がもっとも進んでいるとされているのである。

ところが、同国からは多数の若者が出国して、シリアとイラクにまたがる地域を拠点にするテロ軍団「イスラム国」に戦闘員として参加するなど、不穏な事態も多く発生している。

矛盾と不安と混乱が支配するチュニジア社会をまとめて、そこに民主主義を根付かせることができるなら、カイドセブシ氏はアラブ世界の救世主として歴史にその名を残す可能性も大いにある。

なぜなら、独裁政権を倒したチュニジアのジャスミン革命がアラブの春の呼び水となったように、今度はチュニジアの民主化が他のアラブ諸国の先導役となって、同地域に横行する独裁政権や過激派が一斉に排斥され、アラブ世界全体に真の民主化が訪れないとも限らないからだ。