耳を疑うような事件が北イタリアのミラノで起きた。詐欺破産を巡る裁判の公判が開かれている法廷で、裁かれている被告人自身が突然拳銃を取り出して、弁護士と彼の共犯とされる別の被告らに発砲したのだ。

男はさらに別の階にある判事の部屋に押し入り、中にいた裁判官も銃撃して合わせて3人を殺害した。犯人はクラウディオ・ジャルディエロ被告人 、57歳。事業破産を巡って、詐欺に遭ったと思い込んだ詐欺師が、同僚や裁判官を逆恨みして犯行に及んだ、と判断してもよさそうである。

裁判所の通常の入り口は金属探知機などによるチェックが厳しい。そこで容疑者は偽の身分証明書を作成して、金属探知機が設置されていない弁護士や裁判所職 員専用の通用口に提示して侵入。合計13発の銃弾を放って、殺害した3人以外の傍聴席の人々にも 重症を負わせた。容疑者の拳銃は合法的に取得・登録されたものだった。

通常の入り口を避けて判事や弁護士専用の通用口から闖入したとはいえ、やはり法廷に入る際のセキュリティチェックが甘いと批判されても仕方 がないだろう。犯人が侵入した入り口の金属探知機は事件の数ヶ月前に撤去されていた。それならばなおさら身分証明書などのチェックが厳重になされるべきで あり、何よりも偽造が簡単にできるような身分証明書を発行するべきではない。

法を無視しあるいは敵視して、自らが正義の遂行人となり裁きを行う、というのは中世的な未開思考であり、西部劇も真っ青の無法の容認である。曲がりなりに も先進法治国家の一角をなしているはずの、この国で起こったのはお粗末の一言だ。やっぱりイタリアは何かが緩んでいる、バカだ阿呆だと揶揄されても文句は 言えないところだ。

こういう事件が起きたときには反応が二つに分かれる。一つは単なる偶然だと結論づけてたちまち忘れてしまうこと。もう一つは事件の背後や根っこに何か重大な原因が隠されていると考えて、それを見つけ出し、分析し、警鐘を鳴らして社会に注意を促すことである。

後者は、結果的にまさにただの偶然だった事件を大げさに言い立てて、社会不安を煽るなどの愚を冒す危険がある。しかし偶然に見える事件が、社会の深い疲弊 や疾病に根ざしていることを見逃してしまうよりは、はるかに有益である。そこで及ばずながら僕も、この事件の背後にあるかもしれない病原を少し考えてみた。

前代未聞の事件は「いつもの」イタリア社会のゆるみの顕現というよりも、イタリア社会を覆っている強い政治不信や、財政危機対策にまつわる国民の過重な経 済負担、その結果としての社会の困憊や国民の怒りなどが相まって、司法への不信感が募っているのが遠因ではないか、と思う。そして司法への不信感を形成している最大の要因は「不公平感」だ。

つまり国民は、司法が悪徳政治家や強欲な事業家などの社会悪を罰することなく見逃し続けていると感じているのだ。それどころか司法には、社会悪に正義の鉄槌を下すだけの能力や勇気がないのではないか、とさえ国民は考え始めていて、心中に強い不満を募らせている。

国庫を食い潰すだけの無能な政治家や、脱税・詐欺まがいの動きを繰り返して富を膨らませていく悪徳事業家らは、正直者がバカを見る、という怨嗟を国民に植え付け、司法もそうした「黒い権力」に味方をしている、という国民の巨大な不信感を背景に事件が具現した。その見方が正しいならば、容疑者は一般国民と同 じ被害者だとも考えられる。

そうではないケースも考えられる。それはイタリアの政財界に依然として大きな影響力を行使している、ベルルスコーニ氏に象徴される「勝ち組」の人々の罪過である。20年の間に3期9年余に渡って首相を経験したベルルスコーニ氏は、イタリアの財政破綻をもたらした張本人、というレッテルを貼ら れて失脚した。同時に彼は巨大なビジネス帝国を築いて富を独占し、あまつさえ脱税の罪で実刑判決を受けたりもしている灰色事業家だ。

勝ち組の筆頭でありながら、元首相は常に司法への批判を続けて、支持者の同意を求め司法不信の意識を植え付けようと躍起になってきた。法廷で銃を乱射した容疑者は、あるいは前述とは真逆のベルルスコーニ氏周辺の「勝ち組」の1人であるのかもしれない。一時は事業で成功していたのだからそうした可能性は高い。その場合には彼の犯罪は、富を得た者の思い上がりがさせた行為、とも言える。いずれに してもイタリア社会は病んでいるということだ。

そうした社会不安の行方の不透明さもさることながら、発砲事件はイタリアが抱えるもう一つの懸念にもスポットライトを当てた。つまりイスラム過激派による テロの可能性だ。イタリアはイスラム国やアルカイダなどの過激派組織から常に名指しでテロの警告を受けている。そのうちのアルカイダの威嚇はもう長い間続いているが、これといった深刻な事件はまだ起きていない。

しかし、最近のイスラム国による脅迫は真に迫っていて無視できないと多くのイタリア人は感じている。イスラム国は、キリスト教最大派のカトリックの総本 山・バチカンのあるローマを襲撃する、と公言している。彼らが即座にローマに進撃するとは考えにくい。しかしイスラム国が、シリアやイラクで訓練されたテ ロリストを首都に送り込む可能性は十二分にある。

そればかりではない。イタリアには内戦状態に陥っている隣国のリビアやチュニジアを介して、中東難民が大量に流入し続けている。それは2000年前後に本 格的に始まったが、漂着する難民の数は年々増えて、昨年はおよそ17万人にものぼった。イスラム国はその膨大な数の難民の中に彼らの戦闘員を紛れ込ませてイタリアに送り、テロを起こす計画を持っているとされる。

イタリアでは5月1日から半年間の予定でミラノ国際博覧会が始まり、それが終わるとバチカンによる「大聖年(Jubilee year)祭」が開始される。それは1年間という長丁場の催し物である。国際的にも注目を集めるそれらの催し物は、イスラム国の絶好のテロのターゲットになり得る。

そんな折にミラノの裁判所で驚きの銃撃事件が起きた。そこで暴露された杜撰な警備システムや、保安担当者らの軽いメンタリティーでは、過激派のテロを退けることはとうていできない、と多くの人々が気を揉み出したのも致し方ない。