スペイン・アンダルシアを旅して、思うことが多々ある。
それらのことを書こうとし、書きつつあるのだが、中々書き進むことができない。
言ってみれば、一行書いては数時間立ち止まる、というふうである。
考え、検証するべきことが多すぎる。
特に、アラブ文明と欧州文明の相克と調和。
両者は相克あるいは反発しているだけのように見えるが、実は調和し切磋琢磨した部分も多い。
そうした歴史事実の証拠や証明がアンダルシアには満ちあふれている。
僕は以前「《ヨーロッパとは何か》と問うとき、それはギリシャ文明と古代ローマ帝国とキリスト教を根源に持つ壮大な歴史文明、という答え方ができる」と書いた。
それは基本的には間違いがないと思うが、実はそこには見たい者だけに見える歴史の大きな「たら、れば」も隠されている。
歴史考察に「たら、れば」は禁物、というのは周知の道理である。だがそれは歴史学者向けの戒めであって、歴史好きや空想好きが勝手に想像して遊ぶ分には何の問題もない。
僕も歴史学者ではないので勝手に想像の中で遊んでみたりする。
ヨーロッパの心髄であるギリシャ文明と古代ローマ帝国とキリスト教のうち、キリスト教が抜け落ちて、そこにイスラム教が据えられていたら現在の世界はどうなっていただろうか。
しかもそれは僕の勝手な虚構イメージではなく、歴史的に大いにあり得たことなのである。
新説や異説をあえて無視して、従来からある分かりやすい仕分けに基づいて話をすすめれば、西ローマ帝国が滅亡した後ヨーロッパはいわゆる暗黒の中世に入ってあらゆるものが沈滞した。
沈滞が言い過ぎなら、少なくとも文化・文明知に大きな進展はなかった。
それは15世紀半ばの東ローマ帝国滅亡まで続く。
キリスト教の厳しい戒律支配の下で、ヨーロッパはギリシャ及び古代ローマ文化文明の否定と破壊を進めた。
そうやって欧州はおよそ1000年にも渡って渋滞する。
中世ヨーロッパの鬱積を尻目に、アラブ世界は大発展を遂げる。
ヨーロッパが立ち往生していたまっただ中の8世紀頃から、アラブ世界は欧州とは逆に古代ギリシャを中心とする知の遺産をアラビア語に翻訳し貪欲に取り込んで行った。
それはイスラム文化の発展に大いに寄与した。そうやってアラブ世界は当時、ヨーロッパをはるかに凌駕する科学や医学や建築工学等々の技術を確立した。
そうした知の遺産はルネッサンスで目覚めたヨーロッパに引き継がれ、イスラム世界の衰退が訪れた。
ヨーロッパ優勢の歴史は続き、やがて産業革命が起こって欧州文明の優位性はゆるぎなないものとなって、現在に至っている。
アラブ世界とヨーロッパの地位が逆転した頃、もしもボタンの掛け違いがあったなら、アラブの優勢は続き、われわれは今頃イスラム教が司るアラブ文明の大いなる恩恵にあずかっていた。
われわれが今、大いに西洋文明の恩恵にあずかっているように・・・
というような妄想にもひたりつつ、「イスラム国」にも留意しつつ、アンダルシアについて少し書いていくつもりでいる。