イタリア中部の街シエナは、フィレンツェから50キロほど南にある中世の美しい街である。そこでは毎年夏、パリオという名の競馬が行なわれる。街を構成する「コントラーダ」と呼ばれる17の町内会のうち、くじ引き等で選ばれた10の町内会の馬が競い合う。毎年7月と8月の2回行われ、明日8月16日が今年最後のパリオの日である。

パリオはただの競馬ではない。街の中心にある石畳のカンポ広場を馬場にして、10頭の裸馬が全速力で駆け抜けるすさまじい競技である。なぜすさまじいのかというと、レースが行なわれるカンポ広場が本来競馬などとはまったく関係のない、人間が人間のためだけに創造した、都市空間の最高傑作と言っても良い場所だからである。

カ ンポ広場は、イタリアでも1、2を争う美観を持つとたたえられている。1000年近い歴史を持つその広場は、都市国家として繁栄したシエナの歴史と文化の 象徴として、常にもてはやされてきた。シエナが独立国家としての使命を終えて以降は、イタリア共和国を代表する文化遺産の一つとしてますます高い評価 を受けるようになった。
 
パ リオで走る10頭の荒馬は、カンポ広場の平穏と洗練を蹂躙しようとでもするかのように狂奔する。狂奔して広場の急カーブを曲がり 切れずに壁に激突したり、狭いコースからはじき出されて広場の石柱に叩きつけられたり、混雑の中でぶつかり合って転倒したりする。負傷したり時には死ぬ馬も出る。

カンポ広場を3周するパリオの所要時間は、1分10秒からせいぜい1分20秒程度。熾烈で劇的でエキサイティングな勝負が展開される。が、それにも増して激烈なのが、このイベントにかけるシエナの人々の情熱とエネルギーである。それぞれが4日間つづく7月と8月のパリオの期間中、人々は文字通り寝食を忘れて祭りに没頭する。

シエナで広場を疾駆する現在の形のパリオが始まったのは1644年である。しかしその起源はもっと古く、牛を使ったパリオや直線コースの道路を走るパリオなどが、13世紀の半ば頃から行なわれていたとされる。もっと古いという説もある。

パリオでは優勝することだけが名誉である。2位以下は全く何の意味も持たず一様に「敗退」として片づけられる。従ってパリオに出場する10の町内会「コントラーダ」は、ひたすら優勝を目指して戦う・・・と言いたいところだが、実は違う。

それぞれの町内会「コントラーダ」にはかならず天敵とも言うべき相手があって、各「コントラーダ」はその天敵の勝ちをはばむために、自らが優勝するのに使うエネルギー以上のものを注ぎこむ。

天敵のコントラーダ同志の争いや憎しみ合いや駆け引きの様子は、部外者にはほとんど理解ができないほどに直截で露骨で、かつ真摯そのものである。天敵同志のこの徹底した憎しみ合いが、シエナのパリオを面白くする最も大きな要因になっている。

パリ オの期間中のシエナは、敵対するコントラーダ同志の誹謗中傷合戦はもとより、殴り合いのケンカまで起こる。毎年7月と8月の2回、それぞれ4日間に渡って人々はお互いにそうすることを許し合っている。そこで日頃の欲求不満や怒りを爆発させるからなのだろう、シエナはイタリアで最も犯罪の少ない街とさえ言われている。

長い歴史を持つパリオは、現在存続の危機にさらされている。2011年7月のパリオに出走した馬の1頭が、広場の壁に激突して死んだ。動物愛護者や緑の党の支持者などがこれに噛み付いた。実 はそのこと自体は今に始まったことではなく、パリオを動物虐待だとして糾弾する人々はかなり以前からいた。

2011年の場合は事情が違った。当時ベルルスコーニ内閣の観光大臣だったミケーラ・ブランビッラ女史が、声を張り上げて反パリオ運動を主導したのである。動物愛護家で菜食主義者の大臣は、かねてからシエナのパリオを敵視してきた。事故を機に彼女はパリオの廃止を強く主張し、その流れは今も続いている。

僕はかつてこのパリオを題材に一時間半に及ぶ長丁場のドキュメンタリーを制作したことがある。6~7年にも渡るリサーチ準備期間と、半年近い撮影期間を費やした。幸い番組はうまく行った。僕は今もパリオに関心を持ち続け、番組終了後の通例で、撮影をはじめとする全ての制作期間中に出会ったシエナの人々とも連絡を取り合う。その経験から言いたいことがある。

パリオで出走馬が負傷したり、時には死んだりする事故が起こるのは事実である。だがシエナの人々を動物虐待者と呼ぶのは当たらないのではないかと思う。なぜなら馬のケガや死を誰よりも悼(いた)んで泣くのは、まさにシエナの民衆にほかならないからである。街の人々は馬を深く愛し、親しみ、苦楽を共にして何世紀にも渡って祭りを盛り上げてきた。

彼らは馬を守る努力も絶えず続けている。石畳の広場という危険な馬場に適合した馬だけを選出し、獣医の厳しい監視を導入し、馬場の急カーブにマットレスを敷き詰め、最終的には激しい走りをするサラブレッドをパリオの出走馬から外すなど、など。それでも残念ながら事故は絶えない。

しかし、だからと言って歴史遺産以外のなにものでもない伝統の祭りを、馬の事故死という表面事象だけを見て葬り去ろうするのは、あまりにも独善的に過ぎるのではないか。今日も世界中の競馬場で馬はケガをし、死ぬこともある。それも全て動物虐待なのだろうか?

最後に不思議なことに、ブランビッラ元大臣を含むパリオの動物虐待を指摘する人々は、馬に乗る騎手の命の危険性については一切言及しない。また僕が知る限り、元大臣を含む多くの反パリオ活動家の皆さんは、パリオ開催中のシエナの街に入ったことがない。つまり彼らは、パリオについては、馬の事故死以外は何も知らないように見える。