ハンガリーに足止めされていた難民を一気にドイツに入国させて世界を感動させた同国のメルケル首相は、一転して国境を一時的に閉鎖すると発表して再び世界を驚かせた。気の早い者は、彼女が「豹変」したと批判しているほどである。

ドイツがEU(欧州連合)域内の人の行き来を自由にするシェンゲン協定を反故にするのではないか、と怖れる人々も多い。だがその心配はないと僕は考える。なぜならシェンンゲン協定はEUの存在意義を担保するもっとも重要な取り決めの一つだからだ。

人が自由に行き来することによって、EU内の文化芸術の交流が盛んになると同時に物の流れもスムースになる。そのことによって経済が活発化する。それによってEU内でもっとも大きな恩恵を受けるのが他ならぬドイツである。もちろん他の加盟国もドイツと同じ恩恵を受けていることは言うまでもない。

ドイツがシェンゲン協定を否定するなら、それは自らの首を絞めるにも等しい愚行である。ではなぜドイツは国境管理体制を導入したのか。それはドイツが『わが国は難民を受け入れる用意がある。しかし全ての重荷を一国で負うつもりは毛頭ない』と他のEU加盟国に向けて宣言したかったからだ。

メルケル首相は中でも特にハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアの東欧4国を念頭に置いていると考えられる。それらの4国は、難民受け入れによる経済的負担の重さを主な理由に、ドイツが提唱する一定数の分担義務を頑として拒否している。

シェンゲン協定では、緊急の場合は国境を閉じても良い、と定められている。従ってドイツが一時的に国境管理を行い、オーストリア他の国々がそれに追随したのは合法である。が、道義的には周知のように各方面からの非難を浴びた。

しかし、ドイツはハンガリーに集積していた難民を受け入れ、さらにこの先何年かに渡って、年間50万人程度(2015年の申請数は80万人の予想)の難民を受け入れ続けると約束している。その寛容と勇気を決して忘れるべきではない。

膨大な数の難民が一気に押し寄せることによって起こるであろう、混乱と騒擾を避ける意味でも、また前述のいわば反難民の国々を説得する意味でも、ドイツの処置を適切と考えたい。ドイツが沈没すればEUそのものも立ち行かなくなるのだから。

先の大戦への反省と道義的責任、また直近ではギリシャ危機に臨んでの厳し過ぎる態度への反省等々が、メルケル首相の政策決定に影響している。だがそれが全てではない。彼女は政治的、また経済的にも難民受け入れは長期的にはEUにとってプラスだと考えて賭けに出た。

ドイツの主張する難民割り当てにEU各国が合意して、あるいは団結して危機を乗り切る道を模索し、メルケル首相の賭けが必ず成功することを祈りたい。それはEUが一枚岩になることを意味し、ひいては難民を生む中東問題の解決策を見出す糸口にもなり得るからである。