思うようにブログが書けない。
溜まりに溜まっているテーマや書きかけの文章、一度どこかに発表して加筆、省筆、修正したいエッセイやコラムや記事等が多くある。
そこに時事話が加わるので、いよいよ書くべき事案が山積してきた。それはゴミやモノ(所有物)と同じで、溜まるほどに片付けや整理が難しくなる。
収入になる時間潰し、つまり「仕事」さえなければ好きな執筆に専念できる。でもなかなか仕事が減らない。減るどころか増え続けている。
本来のテレビ屋の仕事はぐんと少なくした。しかし、それにかかわるリサーチやビデオ制作コンサルティング的な仕事はなくならない。
そこに、家族にまつわる財務管理あるいは不動産経営見習い、はたまた見よう見まねの経営者、みたいな気の重い仕事がここ数年ドカンと増えた。
ここ数日間も財務管理に駆け回りながら、難民のこと、又吉芥川賞本のこと、敬老の日のこと、アンダルシアのこと、などなど・・の、時事話を書いた。
ツーか、書きかけている。ツーか「下書きを書き上げて」いる。それらは、溜まりに溜まっているテーマやその下書きに加えての「書き物」。
それらの「書き物」は時間が見つかり次第仕上げて投稿するつもり。それは急がないと時事モノなので腐ってしまう。
腐ると個人ブログとはいえ発表できない。発表してはいけない。そうやって投稿できずに僕の「記事ネタ倉庫」に入った腐れネタあるいは記事はたくさんある。
それでも。メチャ忙しくても、僕はいい加減に時間を潰して遊ぶことは忘れない。忙中閑あり。とあえて意識しているわけではない。が、遊ぶことが好きだ。
先々週からは大相撲に心浮かれて過ごしている。大相撲は大好きだ。メチャ忙しいのに大相撲を見る時間は間違ってもアル。間違わなくてもアル。
今場所は白鵬が休場して、照ノ富士の台頭が余計に鮮明になって楽しい。時間がないので、録画をしておいて、長くのんびりの仕切り部分は飛ばして勝負だけを見る。
それでも十分に面白い。それどころか、短い試合が面白い。それを見ていて、なぜ自分が大相撲が好きか分かった。好きな理由の一つが分かった。
それは相撲の勝負がほとんどの場合、一瞬と言ってもいいほどの短時間で決着がつくからだ。長い勝負でも1、2分がいいところ。それ以上だと水入りにさえなる。
短い勝負だから本気の場合は八百長などできない。真剣勝負になる。大相撲が先ごろ八百長問題で揺れたのは本気を失っていたからだ。
大相撲は叩かれて“本気”を取り戻した。それは大相撲をずっと見てきた者には分かる。そして僕は遠いイタリアにいながらもずっと大相撲を見てきた。
ブログが書けない言い訳を探していたら、大相撲に心を奪われている自分に気づいた。そのことを言いたくてこの記事を書き出した。
ブログよりも大相撲が面白い。だから僕はブログ書きに時間を潰すよりも、大相撲観戦に貴重な時間を割り当てているのだ。
Ecco(エッコ)、これがこのエントリーで言いたかったことだ。Eccoとはイタリア語で、ま、いわば「え~っと」とか「つまり」とか「分かった?」みたいなチョー便利な言葉。
あえて日本語で言えば「ありがとう」「ごめん」「こんにちは」「しばらく」などなど、何にでも使える『どうも』みたいな言葉。
Ecco、分かっていただけましたでしょうか?