相撲協会理事長の北の湖親方が九州場所中に急逝した。
東京での学生時代の終わりに僕は横綱北の湖に会った。正確に言うと国技館に大相撲観戦に行き、花道の奥で入場を待っている北の湖の肩や腕に触れさせてもらった。
そのときの硬く引き締まった横綱の筋肉の感触が、確固たる相撲ファンとしての僕を形作ったように思う。僕はその後イギリス、アメリカ、ここイタリアと移り住んだが、常に大相撲ファンであり続けている。
イタリアに在住する今も衛星放送で大相撲中継を欠かさず見ている。イタリア人の友人知己と共に観戦することもある。その場合僕は100%の自信を持って力士がただのデブではなく、筋肉の塊のような肉体だということを説明する。その原点も北の湖の体に触れた体験である。
その後、12代藤島親方(元貴ノ花)の部屋に招き入れられて、力士の荒い息遣いと裂帛の気迫が漲るぶつかり稽古を目の当たりにしたりもした。迫力に圧倒された記憶は今も新鮮だ。僕は格闘技としての大相撲と文化としての大相撲が好きである。
北の湖は滅法強い上にいつも硬いふてぶてしい表情をし、倒した相手に手を差し伸べるどころかさっさと背を向けて勝ち名乗りを受けたり、彼の全盛時に多くいた彼の対立者としての美男力士への「判官びいき声援」に包まれたり、と大いに嫌われた。
僕も彼を嫌うミーハーファンの1人だった。もう死語・廃語の類だろうが、僕は「巨人、大鵬、卵焼き」を地で行く子供だった。成人すると子供が嫌いな物として冗談交じりに言われた「江川・ピーマン・北の湖」という言葉に共感を覚えたりもした。
また彼の好敵手だった輪島が好きだったことも僕の北の湖への印象を悪くしていた。しかし後年、彼が倒した相手に手を差し伸べないことについて「私が負けた場合に相手から手を貸されたら屈辱だと思う。だから私も相手には手を貸さない」と語ったことを知って彼に対する印象ががらりと変わった。
同じ頃、北の湖が実は人格者だという風の噂も聞こえてきた。北の湖への僕の印象が飽くまでもポジティブな方向に向かう流れの中で、引退後に彼が協会の理事長を務めているのも人望があるからに違いない、と僕は考えた。そうやって僕は北の湖(親方)にますます好感を抱くようになった。
話が飛ぶようだが、再びそんな流れの中で、最近では次のようなことも考えていた。
元フランス大統領のサルコジさんは相撲が嫌いだという。漏れ聞こえてくる噂では「公衆の面前で尻をさらす力士はブザマだ」と、相撲を嫌いというより蔑視しているような発言もあったようだ。
それが真実なら、僕は彼のことを大相撲のことを良く知りもせずに頭から拒否する「猿固辞」さん、と呼ぼうと決め実際にそう呼んできた。
彼とは逆に、彼の先輩であるシラク元フランス大統領は、大の相撲好きで知られている。相撲好きの僕の我田引水と批判されることを覚悟で言うが、猿固辞さんと比べたらシラクさんからは知性と教養の臭いがぷんぷんと漂ってくる。同じ仏大統領経験者でもエライ違いだ。
廻しをフンドシと見なして、力士は股間以外の下半身を公衆の面前にさらす未開人、と考えているらしい猿固辞さんには、失礼ながら教養のかけらも感じられない。
相撲は格闘技であると同時に、日本独自の型を持つ文化である。文化は特殊な物であり歴史と伝統の詰まった「化け物」だ。だから化け物の文(知)つまり「文化」と呼ばれる。
文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化の圏外に生きる者にとっては異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからである。そんな不思議な「他者の」文化を理解するには、知性と教養と、知性と教養から生まれる開明が必要だ。
文明を理解し愛するのには知性も教養もいらない。なぜなら文明とは明るい文(知)のことであり、それは科学技術や機械などの利便と同じ物だからだ。誰もが好きになる便利な物、楽しい物が文明だ。
猿固辞さんは文明は理解するのだろうが、もしかすると他者あるいはよその文化を理解する知性や教養を持ち合わせていないのではないか。猿固辞さんもいつか大相撲を観戦して、僕のように力士と直に接したりもして早く大相撲を理解してほしいものである。
僕のその願いは前述したように僕自身の「北の湖体験」と深く結びついている。一昨年の大鵬親方の死に続いて昭和の大横綱がまた1人姿を消した。残念極まりない。心から冥福を祈りたい。