パリ同時テロの衝撃は、その後のパリ市内での銃撃戦や航空機爆破予告やISによる国を名指してのテロ予告なども相まって、収まるどころかさらに強く鮮明になって世界に拡散する気配を見せている。

中でもここイタリアが受けた衝撃は他の欧州諸国と比べても極めて大きいように見える。キリスト教カトリックの総本山バチカンを擁するイタリアの、特にローマは以前からイスラム過激派の攻撃対象として名指しされ続けてきた。

そこに米FBIが今般、バチカンはミラノのドゥオーモとスカラ座と共に、ISの具体的な攻撃目標になっている、と注意を勧告した。イタリアの危機感は一気に高まって名指しされた施設を抱く2都市を中心に緊張が続いている。

そんな折、イタリア随一の新聞「コリエレ・デッラ・セーラ」紙は、『失われた彼らの命が私たち を強くする(Perche` sono piu forti dei loro carnifici)』という見出しで、パリ同時テロの犠牲者129人の顔写真と共に身元や経歴を紹介する記事を掲載して、読者の心を震わせた。

犠牲者引き縮小版
パリ同時テロの犠牲者129人を偲ぶイタリア紙記事(この記事が出た後、犠牲者は130人に増えた)

正確に言えばその記事は、129人のうち16人は身元経歴等の情報はあるが写真が無く、また残る13人は名前は分かるものの詳しい情報が分からない、という説明文と共に掲載された。多くが20~30代の若者だった犠牲者の国籍は19カ国に上る。

「コリエレ・デッラ・セーラ」紙は記事をこう結んだ。『犠牲者の殉教によって、私たちは彼らを殺戮したテロリストの悪辣と残酷 と利己主義に敢然と立ち向かう力を得た。私たちは世界に涙など求めずにおこう。その代わりにただひたすら法の裁きと正義の完遂を要求しよう』

僕は記事の与えるインパクトに心を揺さぶられつつ、大雑把に言えばテレビ屋の自分と同業者と言えなくもない「コリエレ・デッラ・セーラ」紙の取材力にも感動した、と告白しなければならない。それというのも記事に示された犠牲者の情報が的確で豊富で且つ新鮮なものだったからだ。

特に掲載された1人1人の顔写真は表情豊かなものばかりだった。言葉を替えれば、こうした記事にありがちな身分証明書用の顔写真の転載といった手抜き作業の結果ではなく、笑顔や横顔やサングラス顔やワイングラスの片手の笑顔やオチャメなポーズ写真など、自然体の生き生きとした写真ばかりなので ある。

それは読者の琴線に触れる。なぜなら、それらの日常的な何気ないひとコマを切り取った絵は、彼らが彼らの日常を突然テロリストによって奪い取られた、という 非情な現実を読者に提示するからである。つまり、犠牲者の1人ひとりは、写真の笑顔のまま殺人者によってふいにこの世から抹殺された、という印象を人々に与え る。

その現実が人々の深い悲しみと同情と共感を呼び、その思いの深さの分だけ加害者への怒りが強くなる。「コリエレ・デッラ・セーラ」紙がそれを意図したかどうかは分からない。しかし、多くの読者が自分と同じ感慨を抱いたであろうと僕は推測する。

しかし、忘れないでおこう。「コリエレ・デッラ・セーラ」紙の記事にはパリ以外の地、特に中東の国々におけるテロの犠牲者たちに思いを馳せる言葉はない。だからと言って、今般の事件の後に日本で高まった「パリの犠牲者だけを特別視している」あるいは「中東などの犠牲者を忘れている」などという不可解な非難を同紙に浴びせるのは当たらない。

なぜなら彼らは別の機会には必ずそこでの犠牲者、もっと具体的に言えば中東の犠牲者にも寄り添う記事を掲載するからだ。それは同紙のみならず多くの欧米メディアがこれまでにやってきた仕事だ。彼らの中には夥しい数の中東の犠牲者に思いを寄せる「心ある人々」とそっくり同じ真心がある。

それと同様に、たとえばFacebook のプロフィール写真に三色旗を重ねてパリの犠牲者への哀悼と連帯と表明する人々を、「欧米人犠牲者だけに涙する偽善者」などと糾弾するのも当たらない。Facebook のプロフィール写真に三色旗を重ねて連帯を示した人々は、それを示さなかった人々よりもはるかにりっぱだ。なぜなら彼らは少なくとも無関心ではないことを証明しているからだ。無関心こそがもっとも責められるべき態度なのである。

「コリエレ・デッラ・セーラ」紙の顔写真記事を書いた記者と読者、また中東の忘れられたテロの犠牲者を思い出せと叫ぶ人々、またそれらの全てに耳を傾ける人々は全て「心ある人間」である。「心ある人間」が肝に命じるべきことは、誰かが誰かに、あるいは何かに心を奪われることによって、別の誰かや何かを忘却してしまう時、それを責めてはならないということである。非難されるべきはテロリストであって、犠牲者に心を寄せる人々ではない。