米大統領選候補ドナルド・トランプ氏の「イスラム教徒の米国入国を禁止するべき」という発言を巡っては、世界中で多くの非難と、同時に少数の支持説も噴出して入り乱れ、それ自体がトランプ氏の選挙キャンペーンに資する事態が起こっている。悪態と挑発と怒りを振りまいて話題になることが氏の狙いだ。

トランプ氏は自身が所属する共和党の主流支配階級に真っ向から立ちむかって、これまでのところ他の複数の候補を凌駕しまくっている。そのことに敬意を表して、最終的には決して勝利者にはなれないという意味で実像はあくまでも泡沫候補である氏を、僕は敢えて「有力泡沫候補」と呼ぶことにする。

有力泡沫候補のトランプ氏は、綿密に計算した選挙キャンペーンの戦略に基づいて、下品で粗野で愚劣な発言を繰り返している、と主張する人々もいる。果たしてそうなのだろうか。品性が下劣なのはトランプ氏の資質であり、選挙戦略とは関係がないと僕は思う。トランプ氏を過剰評価するのはアメリカの、ひいては欧米の民主主義の底力を知らない者の間違った見方だ。

確かに彼は共和党の候補指名獲得レースで首位を走っている。11月の段階で共和党支持層の30%強の支持を集めて、2位のベ ン・カーソン氏を10%以上引き離している。その後に支持率8%のルビオ・フロリダ州上院議員、同7%の元フロリダ州知事ブッシュ氏が続き、さらに数人の候補が続くという構図である。

そうした状況を指して、共和党は支持者に大きな影響を与える力がなくなっており、米国の2大政党制はもはや機能していない、と結論付ける者もいる。しかし、トランプ氏を最終的に阻止するのは政党(共和党)の思惑や倫理や縛りではなく、アメリカの有権者であり大衆である。

今後20%の支持率を上乗せすれば、トランプ氏が共和党の候補に指名されるのは数字上は可能だ。今回のイスラム教徒の排斥発言と同様に、彼の言動が馬鹿げていると見られれば見られるほど、トランプ氏の支持率が上昇するのでもあるかのような現象もまだ終わる気配はない。

破天荒な言動で炎上を繰り返している間は、トランプ氏はメディアの注目を集めて報道され続けるだろう。支持率も中々下がらないかもしれない。だがそれが確実に上昇して行くともまた言えないのだ。これまでのところは他の候補への支持率が低く、彼らのキャンペーンも地味だからトランプ氏だけが目立つ結果になっている。

だが年が明けて共和党候補指名レースが佳境に入れば、参入している候補者の数は漸減して行く。そうなれば今は割れている反トランプ票が、ひとつにまとまって勢いを増すと考えられる。その票が誰に集まるかは不透明だが、トランプ氏だけが1人勝ちしている状況は尻すぼみになり、彼の戦いは厳しくなると見るのが妥当だ。

再び数字的に見れば実は、共和党支持層のうち56%がトランプ氏以外の候補者を支持すると答え、13%がどの候補者を支持するか決めかねている、としている。つまりほぼ70%がトランプ氏を支持していないことになる。その割合は彼の支持者がほぼ30%という数字にも符合する。

今後トランプ氏が支持を増やして行く可能性はもちろんあるが、米国民の良識と堅固な民主主義哲学を信じている僕は、彼は決して指名獲得レースには勝てないと予測する。数字のみを見て言うのではない。かつて米国に住み、米国人と仕事をし、今も彼らと付き合いつつ欧州から米国の動向を逐一見ている僕の個人的な見方だ。米国の民主主義と開明と寛容と、そこに立脚した差別や偏見や抑圧に立ち向かう強さを見くびってはならない。

トランプ氏が共和党の指名を受けるなら、共和党は死んだも同然だ。だが万が一そんなことが起こっても、彼は必ず民主党候補に負ける。もしその逆が起こるなら、日本も欧州も世界も死ぬ。なぜならアメリカが死ねば民主主義が死ぬからだ。民主主義が死ねば、日本も欧州もその他のまともな世界も一斉に崩壊する。

トランプ氏に理があり彼がアメリカ大統領になっても不思議ではないと考えるのは、例えばアメリカは「世界一の人種差別国だ」と主張するのにも等しい浅薄な思考だ。なぜならアメリカ合衆国は地球上でもっとも人種差別が少ない国だからだ。これは皮肉や言葉の遊びではない。奇を衒(てら)おうとしているのでもない。これまで多くの国に住み仕事をし旅も見聞もしてきた、僕自身の実体験から導き出した結論だ。

米国の人種差別が世界で一番ひどいように見えるのは、米国民が人種差別と激しく闘っているからだ。問題を隠さずに話し合い、悩み、解決しようと努力をしているからだ。断固として差別に立ち向かう彼らの姿は、日々ニュースになって世界中を駆け巡って目立つために、あたかも米国が人種差別の巣窟のように見える。

だがそうではない。自由と平等と機会の均等を求めて人種差別と闘い続け、絶えず前進しているのがアメリカという国だ。長い苦しい闘争の末に勝ち取った、米国の進歩と希望の象徴が、黒人のバラック・オバマ大統領の誕生であることは言うまでもない。

米国より先に奴隷制度を廃した英国を始めとする欧州諸国には、未だ黒人首脳が誕生する気配すらない。僕の住むここイタリアに至っては、2013年に史上初の黒人閣僚が誕生した際、右翼や排外主義者による同大臣へのあからさまな、しつこい人種差別言動が問題になったような有り様だ。

わが日本はどうか。そこでは残念ながら外見もほとんど違わず文化習慣も近い在日韓国・朝鮮人は言うまでもなく、中国人も差別する。しかも差別がない振りさえする。差別に気づかない者さえ多々いる。今後、世界中から肌の色も風習も何もかも違う移民が大幅に増えた時、いかなる差別社会が生まれるのか、考えただけでもぞっとする。

希望の国アメリカは、人種差別も不平等も格差も依然として多い。それは紛れもない現実だ。だがアメリカは、今この時のアメリカが素晴らしいのではない。米国の開放された良識ある人々が、アメリカはこうでありたいと願い、それに向かって前進しようとする「理想のアメリカ」が素晴らしいのである。そのアメリカで、差別と不寛容と憎悪を煽る手法で選挙戦を進めるトランプ氏が大統領になることなどあり得ない。またあってはならない。

アメリカを筆頭にする西洋民主主義体制とそれを支える自由と寛容と博愛の哲学は、直近の出来事を例に取ればナチスドイツやファシズムを撃滅した強い意志と勇気と良心によって支えられている。それは彼らを遠巻きに眺めてあれこれ吟味をする、例えば日本のそれなどとは実力が違い底力が違い迫力が違う。トランプ氏のような軽佻なポピュリストが、その牙城を突き崩すのは容易なことではないのである。