米大統領選、共和党の「有力泡沫候補」ドナルド・トランプ氏は、イスラム教徒排斥発言の後、アイオワ州で支持率を落として初めて2位になったものの、共和党支持層全体では支持率を40%に上げるなど、相変わらず快進撃を続けている。

一方、トランプ氏と同様にイスラムフォビア(嫌悪、恐怖)を煽って、フランスで支持率を伸ばしている極右の国民戦線(FN)は、12月6日に行われた地方選挙の第1回投票で、過去最高となる28%の全国得票率を得て13の選挙区のうち6選挙区で首位を奪う躍進を見せた。同党は、11月に起きたパリ同時多発テロ事件への恐怖やイスラムフォビア(嫌悪)の広がりと、長引く経済不振への国民の怒りなどをうまく利用して大幅に支持を広げている。

しかし幸いにも、第2回決選投票では、得票率は伸ばしたものの、どの地域でもトップになれない完全敗北を喫した。極右政党の進撃に不安を覚えた大勢の有権者が反対票を投じたのである。ここにフランス民主主義の健全と国民の良識がある。

ルペン氏と国民戦線にとっては期待外れの選挙結果だった。しかし、それを彼女の敗北と見なすことは決してできない。それというのも決戦となった第2回投票では、第1回目よりもほぼ80万人も多いおよそ700万人の有権者が国民戦線(FN)に投票したからだ。

ルペン氏は実は敗北とはとても言いがたい支持率を 維持している。数字を見る限り彼女は、依然として2017年フランス大統領選で決選投票まで残る可能性が高い強い存在である。ルペン氏こそ真の脅威だ。その脅威の度合いは国民戦線という政党とルペン氏が一心同体とも言える存在であること、またその政党が他の欧州国の右翼勢力と手を結ぶ可能性があること、などを考えた場合には極めて大きくなる。

ルペン氏の脅威とは言葉を替えれば、自由と平等と寛容と博愛を標榜する欧米の民主主義に対する恐怖だ。彼女は排外ナショナリズム と不寛容と反イスラム主義を、あたかもその反語でもあるかのような狡猾な言葉のオブラートで包みソフトにし誤魔化して、大衆の不安と恐怖心と悲哀につけ込んで票を伸ばしている。

それに比較するとトランプ氏の危険度は、彼の人気が政党ではなく個人としてのそれである点で低いと言える。しかし、天地がひっくり返って(トランプ氏が大統領になる可能性はゼロという意味で僕はこの表現を多用している)彼がアメリカ大統領になった場合には、地上最強の権力者が排外主義者、人種差別主義者、ファシストであるという意味で最大の危険であることは言うまでもない。

僕は欧州や米国の民主主義と、寛容の精神と、自由博愛の哲学を強く信じ支持する者である。先の欧州議会選挙で英仏ギリシャなどの右翼勢力が躍進した時も、それが一時的な抗議を意味する現象であって欧州の悪への変革を意味するものではないことを信じて疑わなかった

現在のルペン氏とトランプ氏の人気振りについても、彼らが目立つことで極右勢力が勢いづき且つそれに影響さ れる狭隘な精神を持つ人々が排外思想に染まる危険はあるものの、欧州にはそれをはるかに凌ぐ良識の蓄えと民主主義の伝統があるので、最終的には何も問題はないと考えている。

むしろそれらの危険思想は、それ自体が力を得ることで自由と寛容と民主主義を信じる欧州の圧倒的多数の人々の心に警鐘を鳴らし、彼らの信条の再確認を急かす力となって行く。

欧州が長い時間をかけて培ってきた民主主義の精神は、近年ナチズムとファシズムによって蹂躙された。欧州は世界大戦という巨大な犠牲を払って再びそれを取り返した。そこから生まれる自信と誇 りは、欧州が他の自由主義国と共に成し遂げたその偉業の恩恵にあずかって、民主主義を享受している「浅い民主主義社会」の、たとえば日本人などには中々理解できないものである。

そのために、欧州の排外主義右翼やナチズムやファシズム勢力の少しの興隆があると、日本人ジャーナリストなどが必ずこの世の終わりとばかりに大騒ぎをし、欧州 の堅牢な民主主義哲学を知らない日本の読者がこれに踊らされる、という現象が頻繁に起こる。

報道は犬が人間に噛み付くことではなく、人間が犬に噛み付くことのみを拡大強調して報告する。ト ランプ氏やルペン氏の話がメディアに取り上げられるのは、それが異常な出来事、つまり人間が犬に噛み付いている事案だからだ。それは逆に言えば、欧州の大勢が彼らとは相容れない民主主義思想の中で息づいていることに他ならない。

トランプ氏やルペン氏は、欧州の民主主義と寛容の精 神と自由博愛の哲学に挑む危険思想を撒き散らすことで、欧州のそれらの思想信条を呼び覚まして堅牢にし、さらに拡大させる効果を持つ。従って彼らの危険思想と危険思想の影響を語り続けるのは極めて重要なことである。しかし、そこばかりを見つめて騒ぎ立てるのはまた、一切語らない場合と同じ程度に愚かである。