大晦日の夜から新年にかけてのイタリアは、相変わらずクレージーでのけぞるほどにばかばかしくて、そこはかとなく哀れみの伴う人間模様に満ち溢れていた。
大晦日の夜、イタリア中の家庭やレストランでは「チェノーネ」と呼ばれる大夕食会が開かれている。12時を回って新しい年が始まると同時に、花火が打ち上げられ爆竹が激しく鳴らされてあたりが騒然とする。
今年も新年を祝う大騒ぎが繰り広げられた。結果、死人こそ出なかったものの、イタリア中で190人が負傷した。このうち爆発で腕や手を失ったり失明したりを含む重症患者は16人だった。
負傷者の多くは例年の如く南イタリアのナポリ近郊に集中していたが、大晦日を待っていた昨年12月29日には、北イタリアでもニュースになる大きな事故があった。
ミラノ近くのヴァレーゼという町で、新年に向けて花火の準備をしていた22歳の若者が、誤って火薬を爆発させて両手と両目を失い、全身に激しい火傷を負ったのである。
そうした事故は毎年毎年飽きもせずにイタリア全土で繰り返されるが、それでも今年は負傷者の数は少ない方だった。それはあるいは、ISなどの過激派のテロへの厳重な警戒が敷かれる中での祝賀だったことが影響したのかもしれない。
僕は以前、ナポリの正月を生中継で日本のお茶の間に届ける番組を作ったことがある。テレビの中継番組というのは仕掛けが大きく、かかわるスタッフの数も多い。つまりそれだけ金もかかるし仕事も重い。
僕はそこでプロになってはじめて、途中で仕事を投げ出したくなるほどのプレッシャーを受けて苦しんだ。苦しかったのはナポリの正月が何もない正月だったからである。
前述したようにイタリアではナポリなどを筆頭に大晦日の夜から新年にかけて大食事会が開かれ、花火や爆竹ががけたたましくはじけて人々が騒ぐ。シャンパンやワインが開けられて大いに飲み歌い楽しむ。
明け方まで大変な騒ぎが続く。騒ぎのあと、正月の昼間は見事なくらいに何もない。人々は疲れて昼頃まで寝ている。起きても別に何もしない。もう祝賀や遊びや興奮は過ぎたのである。
テレビ屋にとってはこれは非常につらい仕打ちである。何かが起こらなければ番組にならない。そういうナポリの正月の昼間の状況は、もちろん事前に調べて分かっている。「何もないナポリの正月を紹介する」というのも番組のコンセプトの一つである。
それはしかし、テレビ画面に何も映さないという意味ではもちろんない。日本とは違って「ナポリの正月は何もない」という現実を、いろいろな「何もない絵」を組みこんで見せていくのが僕の仕事である。これが苦しかった。大変な仕事だった。それほどにナポリの正月は何もない。