新年になってもIS(イスラム国)の脅威は止むことがなく、米仏に続いてここイタリアのジェノバでもテロ組織関連の摘発があった。アフリカとの船舶の往来も少なくないジェノバ港で、ISと関連があると見られるリビア出身の3人の男が車両貿易を装ったマネーロンダリングの疑いで逮捕された。彼らの活動はISの資金源の一つになっていると見られている。

過激派テロの脅威が続く中、キリスト教カトリックの総本山ローマのバチカンでは、昨年12月8日からジュビレオ(聖年祭)が開催されている。ジュビレオとは、信者がローマを訪ねてサンピエトロ大聖堂を含む4大聖堂の聖なる扉を通って参拝すると、あらゆる罪が許されるというもの。世界12億余のカトリック信者のローマ巡礼を促す意味がある。祭りは今年11月20日まで続き、ローマではその期間中多くの関連事業も執り行なわれる。

ジュビレオは西暦1300年に始まった。その後、開催年をめぐる紆余曲折を経て、25年毎に挙行すると定められた。前回はヨハネ・パウロ2世が2000年に行った。次は 2025年のはずだったが、フランシスコ教皇が「現下の厳しい世界情勢の中で人々は許しあわなければならない」と主張して、通常の聖年祭をいわば前倒しにする形で開催する特別聖年祭。

715年前の第一回目のジュビレオでは、推定人口2万人のローマに200万人もの信者が押し寄せたと言われている。信者一人ひとりの全ての罪が、バチカン巡礼によって帳消しになる大赦年とされたからだ。それを虚偽と見なしたダンテは《神曲》の中で、ジュビレオを始めた教皇ボニファティウス8世を聖職を穢す者として厳しく断罪している。

おびただしい数の信者が訪れるジュビレオは、当時から敬虔な宗教行事であると同時に、教会そのものを含むローマ市にとっては常に大きなビジネスチャンスでもあった。巡礼者への宿や飲食を提供する業者や一般庶民はもちろん、聖職者や貴族に至る全てのローマ市民が巡礼者を利用して金儲けを企み、金で罪を購(あがな)おうとする巡礼者もそれに便乗して、喜んで散財をしたと言われる。

フランシスコ教皇がジュビレオの開催を決定・発表したのは、彼の教皇選出から2周年に当たる昨年の3月13日だった。同年初頭にはIS(イスラム 国)などの過激派によって中東で多くのキリスト教徒が殺害されたり、欧州では過激派テロリストによるシャルリー・エブド襲撃事件なども発生していた。

キリスト教徒とイスラム教徒の間に楔を打ち込み、対立をあおり、憎しみを植えつけようとする過激派の動きやテロは、教皇のジュビレオ開催の発表後も相次いだ。フランシスコ教皇はそうした不穏な世界情勢に臨んで、キリスト教徒に寛容と許しの精神を堅持するようにと呼びかけたのである。

そこには彼の政治的な思惑も絡んでいると見るのが妥当だ。すなわち、近年カトリック教会離れが著しい信者の心を引き止め、求心力を高めたいという強い思いがフランシスコ教皇にはある。特に彼の出身地である南米ではブラジルを中心にカトリック教会からの信者離れが進んでいる。

バチカンの不正財政問題や聖職者による幼児性愛事件、あるいは同性愛や避妊などを巡って、教会の見解に不信感を抱く信者が増え続けることにバチカンは苦悩している。そこに同じキリスト教内のプロテスタントによる信者獲得攻勢も加わって、バチカンは切羽詰った状況におかれている。

またフランシスコ教皇には、前任者のベネディクト16世の時代に停滞、あるいは退行したバチカン内部の改革を推し進めるために、信者の強い支持と世界の注目を集めたいという願いも強くある。教皇の改革への意思は固く、これを恐れるバチカン内部の保守派は彼の暗殺を計画している、という噂が絶えないほどである。

ジュビレオはバチカンとカトリック信者間のいわば内部問題を解決する手段であると同時に、他宗教との対話や協調を希求するフランシスコ教皇が、IS等の過激派のテロを糾弾し宗教間の和解と友誼を謳う象徴的な意義もある。「厳しい世界情勢の中で人々は許しあうべき」という彼の訴えは、キリスト教徒のみならずイスラム教徒をも意識していると考えたい。

今回の特別ジュビレオでは、ローマの4大聖堂ばかりではなく、世界各地の教会でも特別参拝ができるようにした。わざわざローマまで出向かなくても世界中の信者が地元の教会で参拝をすれば、ローマ巡礼と同じ功徳があると信者に伝えたのである。その通達にはテロを誘発しやすいローマへの信者の集中を避ける狙いと、信者がジュビレオに参画しやすい状況を作り出すことで、同祭の盛況を演出したい教皇の思いが込められている。

バチカンは長くイスラム過激派の脅迫を受けていて、パリ同時多発テロの直後には、ISがバチカンを標的にテロを準備している可能性がある、と米FBIが名指しで警告を発している。他の欧州諸国でも似たり寄ったりの緊張状態が続いていて、パリ同時多発テロの実行犯を生んだべルギーのブリュッセルでは、大晦日から新年にかけての花火大会が禁止された。

ここイタリアは違った。年明けの午前0時を契機に、《いつものように》ローマを含む全土で花火や爆竹などの爆発音が鳴り渡った。それは過激派の脅迫には萎縮しない、という国民の強い意思表示のようにも見えた。幸いなことに激しい爆発音が響き渡っていた1月1日未明までの時間もまたその後も、イタリアのどこにもテロは発生していない。

テロリストの主な狙いは前述したように「キリスト教徒とイスラム教徒の対立を煽る」ことである。そこでジュビレオをイスラム教徒が大挙して表敬訪問して、キリスト教徒との連帯を示すなどの動きがあれば過激派の鼻を明かせるのに、と僕は思ったりもする。同時にそれは両宗教の和解の布石にもなって一石二鳥だが、今はまだ実現するのは難しいように見える。だがバチカンもイスラム世界もいつかは必ずそこを目指すべきである。