世の中には「虫の知らせ」とか「以心伝心」とか「予感」とか「テレパシー」など、科学では説明できない何かがあるように思う。
僕は科学を信じるが、科学では説明できない何かがある、ということも科学だ、と考える者だ。
そのことと関係するが、
50歳になったとたんに、友人でもあり仕事先の重要人物でもある優秀な同期生が、「50歳を機に人生でできることとできないことの仕分けを始めました」という便りをくれた。
優秀ではない僕は、できる男はやっぱり違うなぁと思って、おどろきあせり感激した。
そこで僕は「50の舟歌」と題してこう返した
『齢(よわい)50の出生日成る
この佳(よ)き日につづくまた佳き日々は
立てるなら 腹バ立てるな
チン オッ立てよ・・・
立つならば・・
よ~し!』
その同じころ、別の友人がアルコール依存症になったり、癌その他の病気で死ぬことが続いた。そこでも、『2度あることは3度ある』という言いにも近い人智を超えた何かを感じた。
あれから10年が経ち、僕は還暦1年生になった。あいかわらず腹の立つことは多く、朕はしおれ気味だ。
それなのに還暦という節目に際して、再び多くのことが起こっている。それは肉体の変化とそれに伴う精神の変化というよりも、社会的存在としての60歳に起きる変化、ならびにそれに伴うそれぞれの男女の変化である。
多くが退職し、退職をしようとし、まさに暦がゼロに戻る体験をしている。その中で、若かりし日の夢を再び身近に引き寄せて再挑戦をする者も結構出るようになった。
そうやって昔の情熱に浮かされた1人が、昔はなかったインターネットを使ってあれこれ遊び、検索しているうちに、かつて文芸誌に掲載された僕の小説を示すサイトに行き着いた、と興奮気味に知らせをくれた。
その文芸誌と自分の作品のことを忘れてはいないが、ほとんど思い起こすこともなかった僕も驚いた。
ネット(WEB)がなければ、20年以上も前の売れない文芸誌の、売れない小説の情報などほぼ知る由も無いことに違いない。
ネットはネットのみならず、紙媒体も包括していることにあらためて気づかされた。
その事実に僕は結構心を衝き動かされた。
そうして思い惑い、手元にある一冊を久しぶりにひも解いて自分の作品を読んでみたりした。
すると小説を書きたい気持ちが湧き起ってきた。それに連れてブログを書く気持ちが弱まったりもした。
昨年末あたりから僕はそんな風に揺れ動く気持ちを持て余している。
これではいけないと思い、新年に際して一日一記事を書こう、と誓いを立ててみたりもした。
今は少し落ち着いて、やはりブログという面白い表現手段を大事にしよう、と思い直している。同時に時間と意欲があれば小説も書いてみようかとも。
そう思いつつ、とりあえずはネットという素晴らしい贈り物へのお礼と、その機能と力への感嘆を表す意味で、僕の小説が掲載されている文芸誌のURLをここに紹介しておくことにした。2度とそういうことはなさそうにも見えるので。
まだ在庫があって注文すれば手に入るとのことなので、物好きな方は連絡してみて下さい。
http://www.mitabungaku.jp/backnumber16.html
http://item.rakuten.co.jp/takahara/1560757/
後日談実話:この小説が出た時、ある商業誌の小説部門の編集長が、ここまでで自分が知る限りのべストのエイズ小説、という言葉をくれた。
でも彼の出版社が、第2弾を書いてくれ、と僕に声をかけてくれることはなかった・・
つまり、それが「売れない」という現実と「才能のなさ」という悲哀なのだろうと思う。