核開発をめぐる欧米との合意、またそれに伴う経済制裁の解除を受けて、イランが国際社会で存在感を増しつつある。
多くの国の幹部がイランを訪問し、イラン政府の重鎮らも世界中に赴いて活発な外交を進めている。その一環で同国のロウハニ大統領がイタリアを訪れた。
イラン政財界の主要人物120人と共にイタリアを訪れたロウハ二大統領は、イタリアとの間に170億ドル(約2兆2千億円)に上る商談をまとめ、有名なカピトリーニ美術館を訪問した。
その際にイタリア・レンツィ首相の意向を受けた美術館は、展示されている古代ロー帝国時代の裸のビーナス像(紀元前2世紀)など、多くの裸体彫像を白い箱で覆った。
イラン側が事前の視察で、裸婦像が敬虔なムスリムであるロウハニ大統領の目に入るのは不適切、と指摘していたためにイタリア側が気を遣ったのである。
この馬鹿げた処置にイタリア国民の多くが反発し、レンツィ首相と政府を糾弾している。芸術品への冒涜でありイラン大統領への屈服だという強い主張をする者までいる。
また国賓である相手への敬意を示すのは良いが、自らの文化を軽侮するのはあってはならないことだ、と正論で首相を批判する者もいる。
もしもこの出来事が国家対国家の付き合いでなく、プライベートな仲間内での案件であったなら、あるいは美談として捉えられたかもしれない。
つまりホストであるレンツィさんが、客のロウハニさんに気を遣って持てなしただけだ、と。だが事態はそう単純なものではない。
まともな客人なら訪問先のホストにあらかじめ何らかの配慮をするようねじ込むことなどないからだ。イラン側は事前にそれをやっている。
僕はイラン大統領にもレンツィ首相にもいわく言いがたい違和感を覚えずにはいられない。どちらも相手を尊重する振りで、やっていることは自己中心的な互いの思惑の押し付け合いである。
まずイタリア側のレンツィ首相だが、彼は何よりもイランとの間に生まれた170億ドルにも上る商談をまとめたいという気持ちが強かった。その一心でロウハニ大統領のご機嫌伺いに徹したものと考えられる。
それは悪いことではないだろう。しかし、その度合いが愛想の域をはるかに超えてもはや卑屈、あるいは国辱ものにまでなってしまった。だから国民の厳しい批判にさらされている。
しかも彼の場合はこれが初めての「勇み足」ではない。アラブ首長国連邦・アブダビの皇太子がフィレンツェを訪れた際にも、レンツィ首相は市庁舎に展示されていた裸体像を隠して人々の顰蹙(ひんしゅく)をかった。
そういう行為は、相手を敬慕するように見えて、自らの信条や本音を秘匿する分、極めて卑劣な振る舞いだ。つまり正直ではない。従って誠実でもない。上から目線の思い上がりも透けて見える。
一方のロウハニ大統領側にもムスリム独特の偏屈と、傲慢とも捉えられかねない思い込みの激しさがあるように見える。人体の美を表現する裸体像は西洋文明の長い伝統なのだから、これを尊重するのがあるべき態度ではないか。
像を覆い隠したのはイタリア側の自発的なものではなく、前述したようにイラン側の事前の要請に応えたものである。ロウハニ大統領一行に相手文化を敬仰する本気があるならそんな催促などしないだろう。
もっともロウハニ大統領自身は「裸像隠し」の件については私は何も知らないと記者に答え、一方のレンツィ首相側も同様の指示は出していない、とシレッとして声明を出す有り様だ。
イラン側は晩餐会においても、飲酒を忌むムスリムの掟を持ち出してワインを供しないようにイタリア側に註文し、レンツィ首相はここでも唯々諾々と従った。そのことでも彼は自国の文化を卑下したと批判されている。
イランから同じような要請を受けたフランス政府が、食事会におけるワインはフランス文化の核とも言える重要なものだから受け入れられない、ときっぱり拒否した態度とは大違いだ。
要求に屈したレンツィ首相も浅ましいが、他国の文化を尊重するどころか、結果として自らのそれを押しつける形になったイラン大統領の傲岸も救いがたいものだ。彼の態度は欧州に住むイスラム系移民のそれに通低するものがあると感じる。
それはイスラム教徒の人々の悪質ということではなく、イスラム教という宗教の一大特質である「柔軟性の欠落」がもたらす非常に厳しい様態である。つまり教義が時として強制するように見える後進性であり、政教分離の理念の欠如である。
ここ欧州においては、白人のキリスト教徒によるイスラム系移民への偏見差別が歴然として存在する。それは糾弾されて然るべきだ。その差別がなくならない限り、彼らの憤懣は消えることがなく、従って摩擦やテロも無くならない。
だが非はキリスト教徒だけにあるのではない。イスラム教徒の持つ意固地な考えや行動も非難されるべきだ。自らの信仰を全てに優先させる余り、残念ながら彼らは、欧州文化や文明を軽侮すると見られかねない言動をするケースも多い。
自らの価値観を保ち、それに従って生きることは自由だが、ここは欧州社会である。彼らは率先して欧州の価値感も認め尊重することも忘れてはならない、と思う。
郷に入れば郷に従え、という普遍的な哲学を尊重する態度があって初めて、彼らの価値観も他者から認められる。我を押し通すだけでは反発を呼び衝突が絶えなくなる。
イラン大統領の言動とこれを受けてのレンツィ首相のアクションには、欧州とイスラム社会が直面している今現在の深刻な問題の実相が隠されている。持てなしか否かとか、美術館の裸像が果たして芸術か卑猥か、などという単純な話ではないのである。