今日(2月9日)は米大統領選、ニューハンプシャー州の予備選挙の日。民主党、共和党とあるが、気になるのは共和党の動静。オサワガセ候補のトランプさん。

民主党はクリントン、サンダース両氏に絞られたが、共和党は複数の候補者のうち、極論者のトランプさんが相変わらず騒いでいる。

初戦のアイオワ州でまさかの敗退を喫したものの、各種世論調査ではトランプ候補は依然としてトップの人気を保ったまま。

またアイオワ州では、マルコ・ルビオ候補が僅差の3位に付けて、すわ本命アラワルか、と多くの人々(僕もそのうちの1人)をおどろかせた。

ところが彼は、6日に行われたテレビ討論会で他の候補者に政治家経験の少なさを責められて、まさかの立ち往生。

経験の少なさとは、つまり若いということで、若さを責めるのは老人の得意技なのだから「ローガイはダマッテロ」などと言い返せば良いものを、しどろもどろになってミソをつけてしまった。

米大統領選の面白さは、各候補が予備選を含む長い選挙戦を通して「大統領としての資質」を徐々にシビアにしつこく問われ試されて、ある者は成長しある者は脱落していく過程だ。

今回の共和党に限って言えば、初戦でトランプさんが負けたのは彼のエキセントリックな主張が最初のふるいに掛けられたことを意味する。

一方、ルビオ上院議員は6日の討論会で、公衆の面前で痛いところを突かれて冷静に対応できるか否か、のふるいに掛けられた。

トランプさんの主張をエキセントリックと見るか、ルビオさんを若くて動揺しやすいと見るかは、おそらく見る者の主観によって違うだろう。

それでも、米大統領という世界最強最大の権力者はできれば極論者であってはならず、かつ沈着冷静であるほうが望ましい、というのは人々の最大公約数的な思いだろうから、ふるいに掛けるのは良いことなのである。

事前の神経戦を経て投票・選択が行われるニューハンプシャー州では、トランプ氏の勝敗の行方に加えてルビオ候補の戦い振りに注目が集まっている。

アイオワ州で勝ったクルーズ氏は、どちらかといえばトランプ氏に似た異端候補であり、ルビオ氏は主流派である。ひと言でいえば、民主・共和両党共に異端対主流派の戦いが予備選の常だ。

共和党の複数の主流派候補らは、最終的には1人に絞られて全員がその1人を支持する方に回る、と考えられる。その1人がルビオさんになるのかそれとも他の候補なのか、という点が興味深い。

主流派が一つにまとまれば、異端のトランプ、クルーズ両候補の戦いは厳しくなる。僕がトランプ候補を「有力な泡沫候補」と呼ぶのは、数字に裏付けされたその現実があるからだ。

同時に僕は、欧米社会が知恵と民主主義によって少しづつ獲得し現在も獲得する努力を続けている、自由と寛容と平等の精神に楯突くトランプ氏には嫌悪感を覚える。

彼の主張はフランスのルペン女史や日本のネトウヨや民族主義者らのヘイトスピーチと同じものであり、ナチスやファシストや日本軍国主義など、過去の亡霊とも手を結ぶ危険な代物だ。

僕は先に「米大統領選の面白さ」と言った。面白さとは重要性ということだ。米大統領に誰が選ばれるかは、好むと好まざるにかかわらず世界中のわれわれに等しく影響する。

いったい誰が次の合衆国大統領になるのか。そして彼はあるいは彼女はどんな考えで超大国の舵取りをしようとしているのかを監視するのは、自国のそれに対するのと同じ程度の意味さえ持つと考えるのである。