ミモザ花瓶全体300pic













僕の中では3月8日の女性の日(ミモザ祭り)と3月11日の東日本大震災の発生日が分かちがたい記憶として刻印されている。

ブログを始めて間もなかった2011年3月11日の朝(日本時間の午後)、僕は3日遅れの「イタリアのミモザ祭、女性の日」について何か書こうと思ってPCを開いた。

そこに日本から津波のニュースが飛び込んだ。衛星テレビの前に走った僕はそこで固まった。東北を襲う惨劇の映像が日本との同時生中継でえんえんと流れていた。

あの日から5年。忘れたわけではないが、あわただしい日々の時間の流れの中で、大難の地獄絵図は記憶蓄積の奥の片隅に追いやられることも多くなった。

そのことへの後ろめたさも手伝うのだろう、3月11日が訪れるたびに僕はブログや新聞投稿その他の表現の場で、いつも何かを語ろうとしてきた。

だが大震災から5周年の今年は、凶事の記憶が鮮明によみがえり始めた3月8日のミモザ祭りの日も、また3月11日当日も、僕はそれについては何も言及しなかった。

映像やネットなどのニュースや論説を静かに見守るだけにしたのは、何かを口にすることがどこか軽く、意図しないままただの見せ掛けや嘘を披瀝しているような、不誠実な気分がするからだった。

しかし、そうやって静かに5周年の「イベント」の数々を見ていくうちに、被災地への思いや被災者の皆さんへの惻隠の情がふつふつと湧き起こった。

それは偽らざる自分の気持ちの動きである。そこで僕はやはり今年もその心慮を書き留めておくことにした。忘れないために。あるいは忘れないでおこうと努力する自分がいることを確認するために。

多くの情報、消息、分析告知などの中でもっとも心を撃たれたのは、青森県から千葉県に至る被災地自治体の、「復興の今」を語ったNHK番組だった。

そこには再生の進んだ地域もあるが、未だ多くの市町村が災厄の傷跡に苦しむ様子が描かれていた。そこに心を揺さぶられながら、僕はもう一つのNHK番組の報告にも深い感慨を覚えた。

イタリア・バチカン、ドイツ・ベルリン、インドネシア、エジプト、オーストラリアなどを結んで、合唱隊や有名オーケストラが日本の被災地を偲んで公演をする様子を伝える放送だった。

その中でインドネシアの子供たちが、東北の被災者への連帯を表明して≪♪花は咲く♪≫を合唱した。おなじみのシーンに合わせて流れた情報が僕に強い衝撃を与えた。次のような内容である。

“2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島沖で起こった大地震とそれに伴う津波では、インド洋沿岸各地で合計23万人近くが犠牲になった。最も多くの犠牲者が出たのはここスマトラ島のアチェ・・・”
子供たちはそこで歌っていた。

約23万人の犠牲者の中には日本人もいた。しかし、23万人という衝撃的な数字は、東北の犠牲者と遺族また被災者を思う時のような身近な悲しみを僕にもたらさない、と気づいた。その落差に僕は内心おどろいた。

つまるところ人は、遠い場所の事件や災害には、真に大きくは心を動かされないものなのかも知れない。やはり身内の事件だけが重要なのだ。その意味では人間とは利己的で冷たい存在でもある。人はそのために無関心という罠に嵌まり、やがて多くの間違いや無神経な言動に走る可能性が高まる。

突飛なようだが、それは戦争で人が敵を散々に打ちのめす行動原理にも似た危険な代物だ。敵は遠くにいて、顔も見えず、親しみも感じない。だから人は冷徹に相手を殺戮することができる。身内ではないが、敵にも家族がいて日常があって喜怒哀楽の普通の感情があるなどとは考えない。

考えたら殺す手が鈍る。だから敢えて考えないようにするのが戦争遂行の処世術である。それに抗して考えろ!考えよう!と叫ぶのが反戦平和運動である。考えるとは、無関心ではない、ということだ。それは「忘れない」と同義語でもある。

多大な不幸や悲嘆をもたらす天変地異は避けようがない。だが無関心とエゴイズムと冷徹がもたらす戦争などの人為の兇変は避けることが可能だ。また自然の惨禍からは逃げようがないが、被害を最小限に留める方策を取ることは十分に可能だ。どちらもキーワードは『忘れない』である。

忘れるとそこにはいつも落とし穴がある。人は東日本大震災という巨大な不幸でさえともすれば忘れがちである。僕自身がまさにそうだ。被災地の皆さんのために『忘れない』努力をするべきではないか、と考えるうちにそれは被災者のみならず全ての人のために、何よりも自分のために、重要なことなのだと遅ればせながら僕は気づいたのである。