ここイタリアを含むキリスト教世界は復活祭で賑わっている。英語のイースター。イタリア語ではパスクア。イエス・キリストが死後3日目に復活したことを祝う祭である。

キリスト教の祭典としては、非キリスト教国を含む世界中で祝される祭礼、という意味でクリスマスが最大のものだろう。だが、宗教的には復活祭が最も重要な行事である。

クリスマスはイエス・キリストの誕生(誕生日ではない)を祝うイベントに過ぎないが、復活祭は磔(はりつけ)にされた救世主イエスが、「死から甦る」奇跡を讃える日である。

死からの再生は神の子であるイエス・キリストにしか起こり得ない。それを信じるか否かはさておいて、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白である。

イエス・キリストの復活があったからこそキリスト教は完成した。われわれが現在知るキリスト教をキリスト教たらしめているのが、復活祭なのである。

祭りは春分の日が過ぎて最初の満月の後の日曜日と決められている。あるいはイエス・キリストが金曜日に磔になり蘇生した2日後の日曜日。毎年春と共にやってくるイベントである。

復活祭は年ごとに日付けが変わる。が、祭りの中身は例年ほぼ同じ。家族・親戚・友人などが集って、定番の食事会を開き大いに食べて飲んで陽気に過ごす。

復活祭ではクリスマスと同様に多くのご馳走が食べられる。グルメの国ここイタリアの食卓を飾るのは、カラフルで多様な食材だが、中でも輝やかしい主役が卵と子羊である。

卵は新しい生命の象徴。ヒナが殻から生まれ出ることを「キリストが墓から出て復活する」ことにたとえたもの。イエス・キリストの再生を示唆すると同時に命の溢れる春を喜ぶ。

異彩を放つ復活祭のもう一つのメインの食べ物が子羊肉である。復活祭になぜ子羊料理なのかというと、その由来はキリスト教の前身ともいえるユダヤ教にある。

古代、ユダヤ教では神に捧げる生贄として子羊が差し出された。子羊は犠牲と同義語である。イエス・キリストは人間の罪を贖(あがな)って磔(はりつけ)にされて死んだ。つまり犠牲になったのである。

そこで犠牲になったもの同士の子羊とイエス・キリストが結びつけられて、イエス・キリストは贖罪のために神に捧げられる子ヒツジ、すなわち「神の子羊」とみなされるようになった。

そこから復活祭に子羊を食べてイエス・キリストに感謝をする習慣ができた。それもまたユダヤ教に原型がある。ユダヤ教では生贄にされた子羊は後で食卓にも上ったからだ。

復活祭に子羊を食べるのは、そのユダヤ教の影響であると同時に、「人類のために犠牲になった子羊」であるイエス・キリストを食する、という意味がある。

救世主イエスを食べる、という感覚は日本人には中々理解できないものだが、よく考えれば実はそれは、日本人が神仏に捧げたご馳走や酒を後でいただく、という行為と同じことである。

神棚や仏壇に供された飲食物は、先ず神様や仏様が食べてお腹の中に入ったものである。後でそれらを人が押し頂いて食べるとは、つまり神仏を食するということである。

われわれは神様や仏様を食べて、神仏と一体化して煩悩にまみれた自身の存在を浄化しようと願う。キリスト教でもそれは同じ。そんなありがたい食べ物が子羊料理なのだろうと思う。