運転ローマの休日ペック後ろから


クリエイティブなMade in Italyの製品の一つ、スクーターの「VESPA」が今年で満70歳になった。

フェラーリ、ランボルギーニ、アルファロメオ、マセラッティなどなど、イタリアには名車が多い。名車はイタリア以外の欧米各国にもたくさんある。が、車に興味のない人でも「一度は聞いたことがある」と答える車種の多さでは、おそらくイタリアが世界一なのではないか。

車ではないが、スクーターの「Vespa(ベスパ)」も疑いなくイタリアが生んだ「名車」の一つである。映画「ローマの休日」の中で、王女のオードリー・ヘップバーンが想い人の新聞記者グレゴリー・ペックと共にVespaに乗ってローマ観光をするシーンがある。

その場面は単純な街めぐりという形ではなく、王女で世間知らずのヘップバーンがおふざけでスクーターに乗って危うく事故を起こしそうになるところを、相手のペックが彼女を抱くように後ろから支えて運転する、という美しくも楽しい設定で始まり、進行する。

名画の中の名シーンで名優2人を乗せて走るVespaは、まるで彼らと競演する名脇役というふうで、忘れがたいものになった。ロンドンに2階建てのバスがありニューヨークにイエローカブがあるように、ローマのそしてイタリアの石畳の細道にはVespaがよく似合う。

Vespaはイタリアのオートバイメーカー・ピアッジョ社の製品である。第一号車は第2次大戦直後の1946年に売り出された。それから7年後の1953年に「ローマの休日」が製作され、同スクーターの人気を不動にした。以来70年、Vespaはグローバルな厳しい競争を生き延びてきた。

ピアッジョ社の前身は航空機メーカーである。1800年代の終わりに創業されたが、航空機を生産していたことが災いして、大戦中に工場が徹底的に破壊された。会社は速やかに再建されたものの、連合軍によって航空機の生産を禁止された。そこでバイク製造に乗り出した。

社長のエンリコ・ピアッジョが考えたのは「信頼できる街なかの乗り物」としてのバイクを生産することだった。依頼を受けたデザイナーのコラディーノ・ダスカニオは、エンジンを座席の下に収納するという画期的な設計で応えた。

それは彼が目指した「清潔でかさばらないバイク」というコンセプトをとことんまで追求した結果のアイデア。乗る人の服を汚さず油まみれにもならないように、エンジンを座席の下にコンパクトに隠すことを思いついたのだった。

ダスカニオの工夫はそれだけにとどまらなかった。ギアをハンドルに取り付けてそれまでのバイクとは違う感覚を取り入れ、女性も乗りやすいようにハンドルと座席の間を空けて、サドルを跨たがなくても乗車できる形にした。

さらにVespaには、タイヤの取り外しが簡単にできる仕組みなどの細工も施されている。それらは19世紀以来の航空機メーカーだったピアッジョ社の過去の技術の応用である。シンプルに見えるスクーターには、斬新でしかも複雑な技術もさりげなく、数多く導入されているのだ。

以後世界には(あらゆる優れた製品の周りで起こる現象と同じく)Vespaを模倣した作品が多く出回った。たとえばイギリスのトライアンフ・ティグレス、ドイツの ツェンダップ・ベラなど。無粋を絵に描いたような旧ソビエトにおいてさえ、ヴァトカというコピー製品が生み出されたほどである。

それらの模造品はすべて市場から消えた。一方Vespaは、これまでに150種類のモデルが作られ、世界114カ国で1800万台が販売された。それとは別に多くの国でライセンス生産もおこなわれている。また世界中の愛好家によるVespaクラブには6万人の会員が集まる。

名車と呼ばれるイタリア車の魅力の一つは、完璧の一歩手前の完璧さ、だと僕は思う。つまり速さやデザイン美や華やかさや機能の充実を目指す中に現れる、いわば人間的とも形容できる欠陥が同居する「不完全な完璧」である。

それは以前にも書いたように、例えば屋根の雨漏りであったり、排気音のすさまじさだったり、燃費の悪さであったりする。あるいはイタリアの中世の街並みの中に広がる、石畳の細道には大き過ぎるボディであったりもする。

それらは致命的な障害になりかねない重大な粗漏だが、イタリア車はそうはならない一歩手前で踏みとどまって、いわばかすかな欠陥を形成する。それは車の最も優れた部分と絶妙なバランスを保って、「突出しているが抜けている」というイタリア車特有の魅力を作り上げる、と思うのである。

ではVespaの魅力になる欠陥とは何かと考えた場合、それは「低速」あるいは
「ゆっくり」なのではないかと気づく。いわゆる原付ではあるが、Vespaはイタリアや日本やドイツなどの「普通の」バイクのように速さを追求する方向で発展しても良かった。つまりスクーターの「トップスピード保持車」を目指すこともできたのである。

Vespaはそこには行かず、街なかの「低速」の移動手段に徹した。自転車より速く自転車より疲れず自転車よりスマートな乗り物、という程度のコンセプトの枠の中で、機能美と見た目の美しさと軽さを徹底追及した。言葉を替えればローマの細い石畳の道にもっとも映える二輪車を目指した結果、行き着いた傑作がVespaなのではないか、と思うのである。