過重負担は全国で分担引き受けるべき
徳島文理大学大学院教授の八幡和郎さんが沖縄女性遺棄事件に関連して2本の興味深い記事を発表している。「沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠された理由」と「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」である。僕も沖縄で生まれ育ったものの長く外国暮らしをしている「元沖縄県民」である。そこで八幡さんにならって「元沖縄県民」という立場から意見を述べてみることにした。
沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠れようもない本当の理由は、八幡さんが前述の「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」の中でいみじくも披瀝した「沖縄県における基地のあり方については、本土で引き受けられるものは、46都道府県は無条件に引き受けて沖縄に押しつけている状態を解消すべきだ 」にある。
沖縄の基地問題の肝はまさにそこだ。それ以外の議論は、正論・曲論・極論また誤解や中傷や罵倒や、たとえ礼賛であっても、全て枝葉末節である。負担軽減策において、政府の誠実と県外の多くの人々との連帯が実感できれば、沖縄は確実に静まる。なぜなら、県民の大半は八幡さんも指摘している通りアメリカが好きだし、基地の必要性も日米安保条約の重要性も認知し賛成しているからだ。
沖縄には基地を全て無くせと叫んだり中国脅威論を否定したりする人々もいる。また普天間の辺野古移設に賛成する者ももちろんいる。それらの人々のうちの前者は、主として自らの政治信条に従う人々であり、後者は土地や土建にまつわる利権業者とその周辺に多い。それらの人々の声ももちろん尊重されなければならない。が、彼らは飽くまでも少数派だ。それを拡大解釈して、あたかもそこに沖縄の真意があるように主張するのは間違っている。
「沖縄でなければならない」は虚偽
抑止力論を盾に「海兵隊は沖縄にいなければならない」という辺野古移設を正当化したい政府の最大の主張の根拠は破綻している。海兵隊は抑止力の中核ではない。真の抑止力は別にある。「海兵隊=抑止力」論は、辺野古移設をゴリ押ししたい政府の詭弁だ。
そうした事実は森本敏元防衛相の「普天間基地を名護市辺野古沖に移設する現行案は軍事的、地政学的でなく、政治的状況を優先して決定した」発言でも如実に示された。その発言内容は防衛省・自衛隊のサイトでも確認することができる。
そればかりではない。現在はサイトが閉じられているものの中谷元防衛大臣は「普天間基地は沖縄でなくてもいいが、本土のどこも引き受けてくれない」と思わず本音を漏らしたことがある。同サイトのタイトルは「ぼくらが見にいく!在日米軍基地 沖縄に行ってきた!」だ。サイトが閉められたのは、あるいは官邸あたりが「都合の悪い発言」と見なして圧力でもかけたのだろうか・・・。
またモンデール元駐日米大使は、普天間の移設先に関して「アメリカは辺野古とは言っていない。岩国への提案をしたが、場所を決めるのはあくまで日本政府。米国は沖縄に固執していない」と、さらに踏み込んだ発言をした。
政府は普天間基地の移転先は辺野古だけが唯一の解決策だと言い張る。なぜなら地政学的にそうだから。また基地を分散したら抑止力が落ちるから、などと説明する。だがその本音は、移設先は軍事的には沖縄(辺野古)でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域である。つまり本土で受け入 れ先を確保するのが「政治的に」無理だから、沖縄に押しつける。もっと言えば「沖縄以外の46都道府県のどこも受け入れないから沖縄県内でたらい回しにする」ということである。
NIMBYをどうにかするのが政治
米軍基地は日本の安全保障また国防にとって重要極まるものだ。同時にそれは 迷惑施設でもある。そのため基地をいくつも背負わされてあえぐ沖縄の、その背中の荷物のほんの一部(普天間基地は沖縄全体の基地負担の2%に過ぎない)でも引き受けましょう、とは本土の誰も言わない。
基地の重要性は分かっていても誰も迷惑施設を地元に導入したくはない。基地は必要だからそこに存在するべきだ、でも誰もが「NIMBY(ノット・イン・マイ・バックヤード)、私の裏庭には持ってこないで」と思っている。そうやって「なんであれ、よその県が嫌がるので、沖縄に集中している現状であるのが事実だ」と八幡さんも述べる状況がまかり通る。
とはいうものの、迷惑施設はごめんだという人々の気持ちは理解できることだ。その思いを責めるのは酷である。だが同時に、やはり八幡さんが主張するように「沖縄以外の46都道府県は過重負担に苦しんでいる沖縄の米軍基地を引きとったほうがいい」というのもまた決して無茶な要望ではない。
そこで日本を統治する中央政府は政治を大胆に行わなければならない。この場合の政治とは「反対している本土のどこかの土地」、つまり NIMBYを決め込んでいる土地と人々を説得し、どうにかして基地負担を分散することだ。それを民主主義と言う。つまり妥協である。政府がその仕事を投げ 出すなら、それは「政治の堕落」だと沖縄県知事は表現し、多くの人々はそこに「沖縄差別」を見、指摘し、憤っている。
地位協定も癌
八幡さんの主張にこだわる。彼が「地位協定にはなお改善の余地がある。この種の事件が起きるたびに小出しに改定することなく、ヨーロッパでの扱いなども参考にして、包括的最終的解決をめざすべきである」と指摘しているように、地位協定は全面的に見直されるべきだ。僕は改善ではなく破棄、あるいは最低でも全面改訂をするべきだと考える。
敗戦国という弱みを背負った日本の、最貧県の沖縄に君臨してきた米軍は、不平等条約と比較するのもばかばかしいほどの、米軍が一方的に有利な地位協定によって特権を誇示しエンジョイしてきた。日米地位協定は、米国が絶対で日本はそれに従う、という奴隷の発想から出たものだ。協定のおかげで米 軍は沖縄で傍若無人に振舞う。沖縄はそのことにも激しく怒っている。
ここまで述べたように米軍属の犯罪に対する人々の過敏な反応の原因はひたすら「沖縄の過重負担」だ。あるいは県民が「過重負担と感じている」現実 だ。それを取り除かない限り真の問題解決はあり得ないし、米軍(属)への怒りも収まることはない。そのことに目を向けない主張は、例えば沖縄の米軍専用施設は日本全体の74%ではなく23% 、などという議論と同じで、数字等を使った印象操作にしか見えない。
海兵隊にお引取りを願う
最後に提案をしたい。沖縄の怒りも静まり、46都道府県が嫌な基地負担を背負うことも なく、かつ日米同盟もしっかりと維持しつつ抑止力も働く方法がある。それは米海兵隊に日本から完全に撤退してもらうことだ。海兵隊はアジア太平洋から中東 に至るまでの広大な地域を絶えず移動しており、沖縄に拠点を置かなければならない理由はない。
抑止力という意味でも同じだ。沖縄にいなければならない必然性はなく、抑止力としてもそれほどの貢献はしない。海兵隊は有事の際に米国民を救うことが第一義の軍隊であって、日本の防衛が本筋ではない。この際日米で話し合って撤退してもらっても、日本の安全保障にはそれほど支障はきたさない。
沖縄の基地の7割は海兵隊の専用施設だ。従って彼らがいなくなれば、単純計算でも沖縄の基地問題の70%が解消する。それでも沖縄には、横田、厚木、三沢、横須賀、佐世保、岩国の主要米軍6基地を合計した面積の1・2倍にも相当する嘉手納基地・弾薬庫を始め、広大且つ強力な米軍基地が残る。
沖縄が担う中国および北朝鮮への抑止力は、嘉手納基地と自衛隊とそして何よりも日米同盟で十分というのが多くの専門家の見方だ。海兵隊がいなくなれば普天間基地も辺野古もなくなる。あとは地位協定を抜本的に見直すことで、米軍と県民がより良く共生できる環境を整えれば済む。
それが叶った暁には沖縄の民意も政治も静まり、島々は穏やかで明るい人々の住む、適度にリベラルで保守気質も他府県同様に十分にある、本来の沖縄に回帰して行くだろう。その時こそ日本とアメリカはさらに友誼を深め信頼しあって、日本の安全保障のみならずアジア太平洋地域の安定にも資する、真の同盟関係を構築することができると考える。
徳島文理大学大学院教授の八幡和郎さんが沖縄女性遺棄事件に関連して2本の興味深い記事を発表している。「沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠された理由」と「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」である。僕も沖縄で生まれ育ったものの長く外国暮らしをしている「元沖縄県民」である。そこで八幡さんにならって「元沖縄県民」という立場から意見を述べてみることにした。
沖縄が米兵犯罪に過激に反応する隠れようもない本当の理由は、八幡さんが前述の「元沖縄県民として元米兵の事件を客観的考察 」の中でいみじくも披瀝した「沖縄県における基地のあり方については、本土で引き受けられるものは、46都道府県は無条件に引き受けて沖縄に押しつけている状態を解消すべきだ 」にある。
沖縄の基地問題の肝はまさにそこだ。それ以外の議論は、正論・曲論・極論また誤解や中傷や罵倒や、たとえ礼賛であっても、全て枝葉末節である。負担軽減策において、政府の誠実と県外の多くの人々との連帯が実感できれば、沖縄は確実に静まる。なぜなら、県民の大半は八幡さんも指摘している通りアメリカが好きだし、基地の必要性も日米安保条約の重要性も認知し賛成しているからだ。
沖縄には基地を全て無くせと叫んだり中国脅威論を否定したりする人々もいる。また普天間の辺野古移設に賛成する者ももちろんいる。それらの人々のうちの前者は、主として自らの政治信条に従う人々であり、後者は土地や土建にまつわる利権業者とその周辺に多い。それらの人々の声ももちろん尊重されなければならない。が、彼らは飽くまでも少数派だ。それを拡大解釈して、あたかもそこに沖縄の真意があるように主張するのは間違っている。
「沖縄でなければならない」は虚偽
抑止力論を盾に「海兵隊は沖縄にいなければならない」という辺野古移設を正当化したい政府の最大の主張の根拠は破綻している。海兵隊は抑止力の中核ではない。真の抑止力は別にある。「海兵隊=抑止力」論は、辺野古移設をゴリ押ししたい政府の詭弁だ。
そうした事実は森本敏元防衛相の「普天間基地を名護市辺野古沖に移設する現行案は軍事的、地政学的でなく、政治的状況を優先して決定した」発言でも如実に示された。その発言内容は防衛省・自衛隊のサイトでも確認することができる。
そればかりではない。現在はサイトが閉じられているものの中谷元防衛大臣は「普天間基地は沖縄でなくてもいいが、本土のどこも引き受けてくれない」と思わず本音を漏らしたことがある。同サイトのタイトルは「ぼくらが見にいく!在日米軍基地 沖縄に行ってきた!」だ。サイトが閉められたのは、あるいは官邸あたりが「都合の悪い発言」と見なして圧力でもかけたのだろうか・・・。
またモンデール元駐日米大使は、普天間の移設先に関して「アメリカは辺野古とは言っていない。岩国への提案をしたが、場所を決めるのはあくまで日本政府。米国は沖縄に固執していない」と、さらに踏み込んだ発言をした。
政府は普天間基地の移転先は辺野古だけが唯一の解決策だと言い張る。なぜなら地政学的にそうだから。また基地を分散したら抑止力が落ちるから、などと説明する。だがその本音は、移設先は軍事的には沖縄(辺野古)でなくてもよいが、政治的に考えると沖縄が最適の地域である。つまり本土で受け入 れ先を確保するのが「政治的に」無理だから、沖縄に押しつける。もっと言えば「沖縄以外の46都道府県のどこも受け入れないから沖縄県内でたらい回しにする」ということである。
NIMBYをどうにかするのが政治
米軍基地は日本の安全保障また国防にとって重要極まるものだ。同時にそれは 迷惑施設でもある。そのため基地をいくつも背負わされてあえぐ沖縄の、その背中の荷物のほんの一部(普天間基地は沖縄全体の基地負担の2%に過ぎない)でも引き受けましょう、とは本土の誰も言わない。
基地の重要性は分かっていても誰も迷惑施設を地元に導入したくはない。基地は必要だからそこに存在するべきだ、でも誰もが「NIMBY(ノット・イン・マイ・バックヤード)、私の裏庭には持ってこないで」と思っている。そうやって「なんであれ、よその県が嫌がるので、沖縄に集中している現状であるのが事実だ」と八幡さんも述べる状況がまかり通る。
とはいうものの、迷惑施設はごめんだという人々の気持ちは理解できることだ。その思いを責めるのは酷である。だが同時に、やはり八幡さんが主張するように「沖縄以外の46都道府県は過重負担に苦しんでいる沖縄の米軍基地を引きとったほうがいい」というのもまた決して無茶な要望ではない。
そこで日本を統治する中央政府は政治を大胆に行わなければならない。この場合の政治とは「反対している本土のどこかの土地」、つまり NIMBYを決め込んでいる土地と人々を説得し、どうにかして基地負担を分散することだ。それを民主主義と言う。つまり妥協である。政府がその仕事を投げ 出すなら、それは「政治の堕落」だと沖縄県知事は表現し、多くの人々はそこに「沖縄差別」を見、指摘し、憤っている。
地位協定も癌
八幡さんの主張にこだわる。彼が「地位協定にはなお改善の余地がある。この種の事件が起きるたびに小出しに改定することなく、ヨーロッパでの扱いなども参考にして、包括的最終的解決をめざすべきである」と指摘しているように、地位協定は全面的に見直されるべきだ。僕は改善ではなく破棄、あるいは最低でも全面改訂をするべきだと考える。
敗戦国という弱みを背負った日本の、最貧県の沖縄に君臨してきた米軍は、不平等条約と比較するのもばかばかしいほどの、米軍が一方的に有利な地位協定によって特権を誇示しエンジョイしてきた。日米地位協定は、米国が絶対で日本はそれに従う、という奴隷の発想から出たものだ。協定のおかげで米 軍は沖縄で傍若無人に振舞う。沖縄はそのことにも激しく怒っている。
ここまで述べたように米軍属の犯罪に対する人々の過敏な反応の原因はひたすら「沖縄の過重負担」だ。あるいは県民が「過重負担と感じている」現実 だ。それを取り除かない限り真の問題解決はあり得ないし、米軍(属)への怒りも収まることはない。そのことに目を向けない主張は、例えば沖縄の米軍専用施設は日本全体の74%ではなく23% 、などという議論と同じで、数字等を使った印象操作にしか見えない。
海兵隊にお引取りを願う
最後に提案をしたい。沖縄の怒りも静まり、46都道府県が嫌な基地負担を背負うことも なく、かつ日米同盟もしっかりと維持しつつ抑止力も働く方法がある。それは米海兵隊に日本から完全に撤退してもらうことだ。海兵隊はアジア太平洋から中東 に至るまでの広大な地域を絶えず移動しており、沖縄に拠点を置かなければならない理由はない。
抑止力という意味でも同じだ。沖縄にいなければならない必然性はなく、抑止力としてもそれほどの貢献はしない。海兵隊は有事の際に米国民を救うことが第一義の軍隊であって、日本の防衛が本筋ではない。この際日米で話し合って撤退してもらっても、日本の安全保障にはそれほど支障はきたさない。
沖縄の基地の7割は海兵隊の専用施設だ。従って彼らがいなくなれば、単純計算でも沖縄の基地問題の70%が解消する。それでも沖縄には、横田、厚木、三沢、横須賀、佐世保、岩国の主要米軍6基地を合計した面積の1・2倍にも相当する嘉手納基地・弾薬庫を始め、広大且つ強力な米軍基地が残る。
沖縄が担う中国および北朝鮮への抑止力は、嘉手納基地と自衛隊とそして何よりも日米同盟で十分というのが多くの専門家の見方だ。海兵隊がいなくなれば普天間基地も辺野古もなくなる。あとは地位協定を抜本的に見直すことで、米軍と県民がより良く共生できる環境を整えれば済む。
それが叶った暁には沖縄の民意も政治も静まり、島々は穏やかで明るい人々の住む、適度にリベラルで保守気質も他府県同様に十分にある、本来の沖縄に回帰して行くだろう。その時こそ日本とアメリカはさらに友誼を深め信頼しあって、日本の安全保障のみならずアジア太平洋地域の安定にも資する、真の同盟関係を構築することができると考える。