先日、高校生およそ30人と2人の教師を含むグループが僕の編集スタジオに見学に来た。

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編集室は狭いので学生は床に座ってもらった

いま適当な言葉が見つからないので「見学」と言ったが、中身は僕のドキュメンタリー作品を皆で見て、そのあと僕がその作品にからめてドキュメンタリーとは何か、とか、ニュースとドキュメンタリーの違いとは?また類似点とは?などに始まって、映画の話や映像制作現場の話などを思いつくままにざっくばらんに話した後、生徒と質疑応答をする、というものである。要するにちょっとしたテレビ教室あるいは番組制作講座、などと呼べるかもしれない。

僕は数年前までミラノに小さな映像制作プロダクションを置いていた。仕事は忙しく、年中イタリア各地を巡ってはミラノに籠もるという生活だった。そのため僕の住まうロンバルディア州の田舎の町にはビデオ関係の拠点はなく、書き物をする書斎があるだけだった。数年前、ミラノ事務所を閉鎖した際、撮影機材と編集機材を自宅脇のスタジオに移動した。今はそこでも仕事をする。

ミラノから移動した機材はHDでもPC仕様でもないため、使い勝手が悪い。それどころか、従来の機材も依然として多く使われるイタリアにおいてさえ、テレビ番組等の制作現場には適さない。古くなってしまったのだ。今現在のビデオ映像の仕事が入ると、僕はミラノ事務所を開く前のフリーランスのディレクターのように、撮影機材や編集スタジオをレンタルしてこなす場合が多い。

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そんな訳で自宅のスタジオは、これまでの仕事のアーカイブ(ビデオ書庫)的な使い方をしている。アーカイブといっても、数え切れないくらいに取材・制作をした短い報道番組などの記録は残していないので、あるのは長尺(Feature)番組のコピーや撮影済み素材などに過ぎない。テレビ番組はConsumer goods つまり日々の消費財だと考える僕は、それらの一つ一つを保存しようなどとは考えもしなかった。

テレビ屋としての僕の少しの自負もまさにそこにある。人々の「今の」関心や無関心、あるいは喜怒哀楽や憧憬や欲望や噂好きなどを敏感に察して作られて行くのがテレビ番組だ。言葉を換えれば大衆と共に呼吸し存在しているのがテレビ番組である。それは芸術でもゲージュツでもアートでもなく、今日生まれて消えていく消耗品だ。だから制作者である僕も今を呼吸していなければならない。それは書籍や思索や机上議論とは違う、路上でのアクションなのである。

書かない作家は作家ではなく、映画を撮らない映画屋はフェイクであるように、ロケに出ないテレビ屋は偽者である。テレビ屋は----中でもニュース屋やドキュメンタリー屋は特に----ロケに出ることによって大衆と共に呼吸することができる。それをしない場合、大衆を置き去りにする芸術やゲージュツやアートがやがて一部の「通」、つまりオタクだけが後生大事に抱え込むおわコンになるように、消耗品のテレビ番組は死滅する。死滅するどころか、大衆と共に歩まないテレビ番組はそもそも生まれることさえない。

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かつて映像の世界でひと角のクリーエーターになろう、また必ずなれると信じていた怖いもの知らずの僕は、若気の至りで教師という職業をバカにしきっていた。特にアートの分野ではアーティストになれなかった者が教師に「成り下がる」とひそかに思っていた。「教える」という仕事は制作ではない。そしてアートは制作することが全てだ。だから制作をしない教師はおかしい、という理屈
である。

今は違う。僕は教師というプロの指導者の価値を知っている。教えるという行為は、確かにアート制作とは別物だ。が、そこでの教師はアート制作をする「生徒を制作する」のである。優れたアーティストには必ず優れた教師がいる。その教師はアーティストと教室で直接に顔を合わせることはなくても、彼の手引きとなる仕事をして「アーティスト造り」の一翼を担う。それよりももっと明確な「教師」であるのが、実際にアーティストを指導する先達だ。要するにプロの指導者としての教師だ。そして誰もが優れたプロの指導者また教師になれるわけではない。

僕が自宅スタジオで請われてやっていることは、あるいは教える行為に近いかもしれない。しかし、僕は生徒を指導しようなどという僭越なことは微塵も考えない。教えるノウハウを知らないからだ。また今さらそれを知ろうとも思わない。前述したように、いま手元に残っている自分の作品と、それにまつわるあれこれの経験を学生に話して、彼らの成長の糧になれれば嬉しいと思っているだけだ。そして、教えるというのではないそういう活動は、申し入れがある限り今後も続けようと考えている。