ほぼ枯れ果てた樹齢数百年のオリーブたち
イタリア最大のオリーブ油の生産地、南部のプーリア州でオリーブの木が枯れるピアス病が蔓延し、これまでに全体のおよそ10%に当たる100万本余り(面積にして約20万ヘクタール)が被害に遭って死滅した。
ピアス病菌は南米から渡ってきたもので、感染するとオリーブの木は根元から水を吸い上げられなくなり枯れてしまう。人間には無害だが200種類以上の植物を死滅させる毒性を持つとされる。これまでのところ病菌を退治する方法は皆無である。
オリーブは何百年にも渡って生きる生命力の強い木。樹齢千年を超えるものもある。だがピアス病菌に侵されると、樹齢数百年以上の強靭なオリーブもあっけなく枯れてしまう。基幹作物の変事に地元のプーリア州のみならずイタリア中が強い危機感を抱いている。
病気が流行り出したのは2013年。病気発生から2年後の昨年、イタリアのオリーブ油生産は激減。およそ257億円の損失が出たと見られている。その結果EU(欧州連合)域内のオリーブ価格も20%上昇。イタリアはスペインに次いで世界第2位のオリーブ油生産国。影響は少なくないのだ。
病菌が欧州全体に拡大することを恐れたEUは2015年初頭、感染した全ての木を伐採して焼却処分にするようイタリア政府に通告。イタリア政府はEUの命令に従って24万ヘクタール余りを緊急対応地域に指定し、病気の木々の伐採・焼却を督励した。
しかし、生産農家はEUの政策に猛反発した。伐採・焼却処分は病気の治癒法を求める抜本的な対策ではなく、生産者を切り捨てるものである。木々を伐採してしまえば、彼らの生活の糧が即座に消えてなくなる、としてEUを提訴した。
農家の反発は経済的理由が全てではない。プーリア州に広がる広大なオリーブ畑は、濃い緑と豊かなスペースが相まって、独特の深い癒しの景観を形成する。美しい田園風景は、観光資源としても重要なものだ。だからオリーブ農家の主張は多くの州民また国民の強い支持を受けている。
EUはプーリア州の農家の動きを受けてルクセンブルクの「欧州司法裁判所」に彼らを逆提訴。その判決が今年7月に出た。判決はEUの言い分を全面的に認めたもので、感染した木は伐採し焼却すること。またそこから半径約100メートル以内の木々は、健康なものも含めて全て同じ処分をすること、となった。
この判決にプーリア州の生産者はさらに激昂。木の伐採を続ければ、オリーブ油というメイド・イン・イタリーの名産の一つがなくなりかねない、という不安も手伝って、木々は伐採ではなく剪定することで感染を防ぐべき、という主張を始めている。それは根拠のない言い分ではない。
ピアス菌は木を根元から腐らせると考えられていたが、どうやら感染した枝から幹や他の部位に転移するらしい。そこで感染した部位を切り落とすことでさらなる感染が防げる、という説が出てきたのである。以後は実際にそんな剪定作業も行われている。
今年7月、ちょうど「欧州司法裁判所」の判決が出た頃、僕はプーリア州でも特に被害が大きいレッチェ県を中心とするサレント半島を訪ね、オリーブ畑を巡り歩いた。そこで目にしたのは、セコラーリ(世紀もの)と呼ばれる老樹や大木が立ち枯れている悲惨な光景だった。僕は体が痛いと感じるほどの異様な衝撃を受けた。
実は僕は以前、被害が出ているプーリア州のまさにそのあたりを舞台に、オリーブを話の中心に据えたNHKの紀行番組を作った経験があるのだ。その時のロケで最も感動したのは、何世紀もの樹齢を誇るオリーブの大木や古木のたたずまいだった。尋常ではない自分の反応はその事実からきていた。
樹齢が数百年あるいはそれ以上にもなるオリーブの古木や大木は、人間との長い共生の間に単なる作物や商品の域を超えた大切な何ものかに変化する。木々は人々の心にぴたりと寄り添い、命あるものとして実感され、癒し癒され合う存在にさえなって彼らの強い愛着心を呼ぶ。
農家がEUの命令のままにそれらをあっさりと伐採し焼き払う気持ちになれないのは、当然のことだ。罹病したオリーブの大木たちを巡るEUとプーリア農民の攻防には実は、経済と文化と人情がからんだEU独特の問題が秘められているように思う。一筋縄ではいかないのだ。
EUの政策を立案し実行するのは、ブリュッセル本部のエリート官僚だ。彼らは欧州全体を見る立場で物事を考えている。従って彼らが、ピアス病菌がEU内の他の国に蔓延しないように策を講じるのは当然だ。だがそうすることで彼らは、オリーブ農家を見捨てる結果も招きかねない。
EU全体の利益のため、という名目でなされるそうした政策は、つい最近まで「仕方のないこと」としてメンバー国に受け入れられる傾向があった。しかし、時とともに人々は官僚の高圧的な態度に疲れ、反感をもつようになった。それが象徴的に現れたのがBrexit、つまり英国のEU離脱だ。
英国がEU離脱を決めた背景には、移民問題とともにEU官僚への大きな不満があった。英国民はあらゆるものに規制をかける高圧的なEU官僚に反発し、彼らの支配を逃れて主権を取り戻したい、という高揚感に駆られてEU離脱に賛成票を投じた。
英国の不満は実は少なからずイタリアの不満でもある。イタリアには英国離脱に賛成する国民がー時によって数字の割合は変わるもののーほぼ半数存在している。恐らくそのこととも関係しているが、プーリア州のオリーブ農家とイタリア政府は、木々を全て伐採して焼き払え、というEUの命令を甘んじて受けようとは考えていない。
Brexitに象徴されるように、EU加盟国間には、組織の中央で政策を立案・実行している官僚機構への不満が、かつてないほど高まっている。EU内には不協和音が絶えず鳴り響いているのだ。イタリアのオリーブ問題にもそれが色濃く表れているように見える。
EUを構成する国々はそれぞれが成熟した個性的な存在である。そのために参加国間には時として「多様性が過ぎる」と見えるほどに意見の隔たりが多く、物事が決められないケースも稀ではない。そこで、EU中枢の官僚が支配を強めて混乱をまとめる、という仕組みが出来上がった。同時にそれはメンバー国の一つ一つが個性をもぎ取られて、常に中央の意思決定に従わされるという構図の完成でもあった。そこに不満が醸成されていった。
イタリアのオリーブ問題を巡る攻防でも、前述したようにEUの直面している難題が象徴的に且つ明瞭に現れていると映る。もしもEUが対応を誤れば、ピアス病菌はオリーブの老樹を破壊するのみならず、EU自体にも食い込んで不協和音を増幅させ、ついにはEU(欧州連合)の終焉がやって来る事態を招かないとも限らないのである。