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蓮舫 by Kenji Andrea Nakasone

蓮舫さんの人となりはさておいて

蓮舫民進党代表の二重国籍問題は、バッシングのピークが過ぎてもしつこくこれを取り上げる人々がいて、問題の大きさがうかがい知れる。彼女の人となりには意見したいこともあるが、ここではそれとは全く無関係の主張をしたい。

蓮舫氏の二重国籍問題は、多くの人が指摘している通り「間違いを認めてごめんなさい」と言えば済んだことかもしれない。ところが彼女はそれを嘘で固めて、しかも発言内容が二転三転したから大問題だ、と明言する人々がそれを許さない。

彼女の嘘は糾弾されて然るべきだ。だがそれをいいことに、蓮舫氏の政治家としての資質を問題にしている振りで、いつまでもネチネチといびり続ける態度には、これまた多くの人が指摘するように、民族差別意識や排外主義が色濃く滲んでいるようにも見える。

その態度は蓮舫代表の嘘と同程度か、下手をするとそれ以上に見苦しいものになりかねない。蓮舫氏がらみの話はまた後述することにして、ここでは先ず二重国籍や二重国籍保持者の是非や可不可やメリットやデメリットについて論じてみたい。

排斥ではなく抱擁することが国益

手取り切り取り
二重国籍を有する者は今の日本では、本人が外国で生まれたり、生まれた時に両親が外国に滞在していたりというケースなどを別にすれば、日本人と外国人の間に生まれた子供、というケースが圧倒的に多いと考えられる。

理由が何であれ、そうした人々は日本の宝である。なぜならば、彼らは日本で育つ場合は言うまでもなく、外国で育っても、いや外国で育つからこそ余計に、自らのルーツである日本への愛情を深く心に刻みつつ成長していくことが確実だからだ。

そんな彼らは将来、日本と諸外国を結ぶ架け橋になる大きな可能性を秘めている。日本を愛するが日本国籍を持たない人々、すなわち親日や知日派の外国人は世界に多い。われわれはそうした人々に親近感を持つ。彼らの態度を嬉しいと感じる。

ましてや二重国籍の日本人は、黙っていても日本への愛情や愛着を身内に強く育んでいる人々なのだから、純粋あるいは土着の日本人が、彼らに親近感を抱かない方がおかしい。彼らを排斥するのではなく抱擁することが、国益にもつながるのだ。

たとえば日本に在住するブラジル人の場合、その人が日本国籍を持っていないケースでは日本を愛しているかどうかは分からない。日本に住んでいるのだからおそらく日本が好きな人が多いのだろう、という推測はできるけれども。

一方、日系ブラジル人の場合にはほぼ100%日本贔屓であると考えても構わない。ルーツを日本に持つとはそういうことだ。血のつながりは何よりも強い。ましてや日本人の親を持ち日本国籍も有するブラジル人の場合はなおさらだ。

ブラジルで生まれ育った二重国籍の日本人はあるいは、日本社会の慣習や文化を知らずに周囲とトラブルや摩擦を起こすこともあるだろう。その場合には無論、彼らが日本の風習文化を理解する努力をすることが第一義である。

同時に日本で生まれ育った純粋土着の日本人も、彼らの心情を察してこれを受け入れ、ハグしていく寛容が必要だ。それを全て相手が悪いとして排撃する者は、グローバル世界の今のあり方を解しない内向きの民族主義者、と見られても仕方がないのではないか。

国防ではなく安全保障を見据えるべき

文化や心情や人となりで物事を理解するのが不得手な民族主義者らは、日本に限らずどの国の者でも、暴力的なコンセプトで世界を捉える傾向がある。そこでそれらの人々に分かりやすい言葉で解説を試みたい。

二重国籍者を排撃しようとするのは、喧嘩や暴力や戦闘を意識して力を蓄えて、それを行使しようとする態度に近い。つまり国家戦略で言えば「国防」の考え方である。先ず戦争あるいは暴力ありき、なのだ。

これに対して二重国籍者を受け入れるのは「安全保障」の立場だ。つまり、抑止力としての軍備は怠りなく進めながらも、それを使用しないで済む道を探る態度、言葉を変えれば友誼を模索する生き方、のことである。

renho 5たとえば蓮舫議員のことを考えてみよう。彼女をバッシングする人々の中には、台湾との摩擦があった場合、台湾(国)籍の彼女は日本への忠誠心が希薄なので、日本の不利になるような動きをして台湾に味方するのではないか、という疑問を持つ者がいる。

その困惑は理解できることである。そういう危険が絶対にないとは言えない。だが、こうも考えられる。彼女は台湾(国)籍を持っているおかげで台湾との対話や友誼の構築を速やかに行うことができ、そのおかげで日台は武力衝突を避けて平和裡に問題解決ができる、という可能性も高くなるのだ。

これを疑う人は、フジモリ元ペルー大統領のケースを考えてみればいい。われわれ日本人の多くはフジモリ大統領に親近感を抱いた。彼が日本にルーツを持っていたからだ。それと同じように台湾や中国の人々は、日本の指導者である蓮舫氏が台湾にルーツを持っている事実に親近感を抱くだろう。renho 4

それは彼らの敵愾心を溶かしこそすれ決して高めることにはならない。これこそが「安全保障」の一環だ。排撃や拒絶や敵愾心は相手の心に反発を生じさせるだけである。片や、受容や寛容や親愛は、相手の心にそれに倍する友誼を植え付け、育てることだ。

引きこもりの暴力愛好家になるな

グローバル世界を知らない、また知ろうという気もない内向き・ドメスティックな日本人は、概して想像力に欠けるきらいがあるからそのあたりの機微にも疎い。が、国内外にいる二重国籍の日本人というのは、えてしてそうではない日本人以上に日本を愛し、さらに日本のイメージ向上のためにも資している場合が多いのだ。

土着純粋の日本人は、グローバル化する世の中に追いつくためにも、世界から目をそむけたまま日本という家に閉じこもって壁に向かって怨嗟を叫ぶ、石原慎太郎氏に代表される「引き籠りの暴力愛好家」の態度を捨てて、世界に目を向けて行動を始めるべきだ。二重国籍者の価値を知ることはその第一歩につながる。

血のつながりに引かれるのは、イデオロギーや政治スタンスとは関係のない人間の本質的な性(さが)だ。それは親の片方が日本人で、且つ外国に住んでいる二重国籍の子供たちを多く見知っている僕にとっては、疑いようもない当たり前の真実だ。

外国に住んでその国の国籍と同時に日本国籍も有する子供たちの日本への愛着は、ほぼ例外なく強く、好意は限りなく深い。目の前に無い故国は彼らの渇望の的なのだ。外国に住まうことでグローバルな感覚を身につけたそれらの日本人を、わが国が受容し懐抱して、彼らの能力を活用しない手はない。

それと同じことが、日本国内に住まう二重国籍の日本人にも当てはまるのではないか。蓮舫国籍問題にかこつけて差別ヘイトに夢中になっている人々は、今こそ先入観をかなぐり捨てて「二重国籍者という国の宝」を排斥する間違いを正し、国益を追求する「安全保障」の方向に舵を切って歩みを始めるべきである。