トランプ候補猥褻発言の波紋は高まりつづけ、広がりつづけて、収まる気配がない。彼の発言の意味を僕は二つの観点から考えていて、ブログ記事なりにまとめるつもりでいる。
二つの観点とは、政治と言葉についてである。あるいは政治と文化について、と言い換えても良い。政治話の内容は、猥褻なトランプ候補を党公認に選んだ共和党は彼に輪をかけて猥褻だ、というもの。
言葉あるいは文化視点の話とは、トランプ候補が発したPussyという言葉をNHKが直訳しないで、または「直訳できなくて」別の穏便な言葉に置き換えた日本の文化的背景、また愉快についてである。
しかし、筆の遅い僕は2記事の概要をまとめたのみで、まだ書き上げることができない。そこで予告の意味も込めて、書きそびれていること、としてここに記しておくことにした。
米大統領選の第2回討論会を、第1回目と同じく徹夜で見た。正確には午前2時に起き出してイタリア時間の同3時から始まるトランプ候補とヒラリー候補のやり取りをテレビ観戦した。
観戦した、という方がぴったりくる激しいやり取りだった。もっと正確に言えば「選挙芸能バトル」とでも命名したくなる面白いののしり合いだった。
面白いというのは語弊があるかもしれないが、ああ言えばこう「ののしり返す」舌戦は、もはや芸能番組と表現する以外には適切な言葉が見つからない。
冒頭、トランプ候補の猥褻発言が槍玉に挙げられた。彼は(女性蔑視と糾弾された)それについて家族にも米国民にも謝罪したが、共和党員からは謝罪が十分ではない、と非難された。
トランプ候補の言語は下品とか下劣という軽い形容で済まされるものではなく、強い女性蔑視であるから、しっかりと謝罪しなければ女性の票が逃げてしまう、というのが共和党の重鎮らの見解だ。
選挙という観点からはそれはもっともな意見だが、トランプ候補の発言は女性蔑視のみならず、人種差別や宗教差別や移民差別などの、彼特有の偏向思想に連鎖している、と考えられるのが真の問題であり怖さだ。
選挙キャンペーンの当初から常に問題にされてきたトランプ候補の差別意識が、そこでも炸裂して共和党内からもさらなる批判が噴出した格好。
トランプ支持率は第2回討論会を経て下がったとされるが、下げ率は思ったよりも大きくはない。それはコアなトランプ支持者にとってはたいした問題ではなかった、ということである。
当たり前だ。「類は友を呼ぶ」の喩え通り、彼を熱狂的に支持しているのは、彼に近い思想を持つ人々なのだから、いまさら彼の発言にはおどろかない。驚くどころか、むしろ歓迎しているのだろう。
トランプ候補の発言は、前述の「連鎖」を別の言葉に置き換えれば、いわば「氷山の一角」としての汚れなのだが、海面下にある氷の巨大な本体、つまりこれまた前述した「偏向思想」が許しがたいものなのである。
氷山の一角たる彼の発言は、彼自身が釈明したように「ロッカールーム内での戯言」という側面はあると思う。若い男らが、男同士の下ネタ話や猥談の中で交わされる内容のうちの、ひどく過激なもの、という側面はあるが。
普通ならば、いかにピューリタン(清教徒)的な潔癖症に囚われているアメリカ人でも、目くじらを立てて非難する内容ではない。女性が耳にすれば憤慨するだろうが、男同士ではそれほど珍しいものではない。男というものはそんなふうに下卑て助平で猥雑な存在でもあるのだ。
僕は言葉と文化を語る予定の二つ目の記事では、NHKが表現に苦労したらしいPussyという言葉を、対称(対義?)語のDickとともに日本語に直訳して記事を書こうと思っているが、ためらいもある。だからこうしておっかなびっくりに予告編などを書いているわけだけれど。
それらの英語は、敢えて直訳しなくても意味は伝えられるし、直訳しない方が上品ではある。でもそうすると、トランプ候補の過激なまでの卑猥や下劣ぶりが正確に伝わらない可能性がある。逆にストレートに訳して語ると、多くの人々、特に女性読者に怒られたり嫌われたりする可能性もありそうなので、悩ましい。